CGへの扉 Vol.59：生活に浸透するAI、身の回りの「弱い」AI

弱いAIと強いAI

「ご飯が炊けました」「解凍が完了しました」「充電してください」など、言葉を話す家電が存在します。けれどもそこに家事であれば何でもできる高機能なAIが搭載されていることを期待する人は少ないでしょう。

AIが活用される際、よくとりあげられる概念として「弱いAI、強いAI」という考え方があります。これは 1980年代、アメリカの哲学者であるジョン・R・サール氏が提唱した概念です。「強いAI」とは、人間と同等の心や意識を持つAI、AGI（Artificial General Intelligence：汎用人工知能）とも呼ばれ、多くの人工知能研究者がAGIの実現を目指していますが、いまだ実現していないと言われています。一方「弱いAI」は、人間のようなすべての認知能力を必要としない程度の問題解決や推論を行うもので、画像認識や自動翻訳、ロボットの制御、不正や異常の検出など、ある特定の分野に特化して機能し、他の用途には向かないAI活用のことを示します。

そうは言っても、最近のOpenAIのChatGPTや、MicrosoftのCopilot、GoogleのGemini（旧Bard）など数多くの進化したAI系ツールを使っていくうちに、すでに強いAIがもうすぐ実現する段階にあるのではないかと考え始めている人も多いのではないでしょうか？

強いAIの実現には、単に特定のタスクを効率的にこなす能力以上の振る舞いが必要です。AIが自己の能力を正しく認識し、相手の感情を理解し、倫理的判断のもとで判断や回答をするなど、人間の持つ複雑な考え方や立ち振る舞いを模倣する必要がでてきます。これらの特性は、AI研究の現在の技術や理論ではまだ完全には理解されていません。人間の脳の仕組みなどを参考に研究が進んでいますが、それだけでは実現が難しく、現在さまざまなアプローチでAGIへの可能性が模索されています。強いAIが実現すれば、今まで以上に人間の生活は変化し、AIにさまざまな事柄を頼るようになってくることが予想されます。

その一方、AIのすべてが万能な「強いAI」になれば良いわけではなく、弱いAIと強いAIとの使い分けや適材適所での役割分担が重要になってきます。弱いAIは、何気ない家電製品などに組み込まれ日々の生活や仕事を便利にしてくれ、強いAIへの探求は、人間の知性に関する深い理解をもたらしてくれると考えられます。

家電見本市 CES 2024は、AIざんまい

毎年、年始に世界最大の家電見本市CES 2024が米国ラスベガスの超大型コンベンションセンターを中心に開催されます。新型コロナウイルスの影響でここ数年、会場での開催中止や停滞が心配されていましたが、今年はコロナ前の活気に匹敵する13万人以上の参加者を集め、約4,300社の出展があったそうです。今年は特にAIが活用された家電製品や車が大きな注目を集めました。

CESは世界中の家電メーカーがこぞって新製品を発表する場です。展示会としての意味合いもありますが、多くは全世界の大型家電ショップや、百貨店などのバイヤーが新製品の取引を相談し、商品を買い付ける「商談」の場でもあります。どのメーカーもこの時期を狙って最新のテクノロジー製品やイノベーションを披露し、コンセプトモデルから、量産モデルまで、企業のこれから1年の意気込み、近い将来の展望を垣間見ることができるイベントです。展示会場では白物家電と呼ばれる冷蔵庫、高機能エアコンなどはもちろんのこと、黒物家電と呼ばれるテレビやデジタルカメラ、オーディオ機器などについて、世界的大企業から、極小スタートアップまで、さまざまな企業が大勢の見込み客を呼び込んでいます。

従来より、家電製品には単一機能を得意とする特化型AI、先に紹介した「弱いAI」を搭載したことを売り文句にした商品は数多くありました。しかしここ数年のChatGPTをはじめとするAIの著しい進化により、単なる便利な家電から、真の意味で「賢い」家電に進化しており、AI全般がCESでの存在感を増しています。

特にAIが家電製品で活躍する領域は、音声認識、自動化、パーソナライズ、分析や予測といった分野です。CES 2024で発表された注目の製品をいくつか紹介しましょう。

Samsung Ballie

日本では大型テレビやスマートフォンで知られ、世界的に展開する韓国企業Samsungからは、Ballieというプロジェクター搭載の執事ロボットが登場しました。BallieはCES 2020でコンセプトのみ発表されていたもので、今回実際に動く新バージョンの製品がプレゼンテーションされました。

Samsungのうたい文句としては「家事をこなし、その日の出来事を表示し、天気の最新情報を共有する」とし、家庭での利用者を知的にサポートする、導く役目を果たすとのこと。家電的には、プロジェクターとロボット掃除機が組み合わさったような製品のように見えますが、その背後にあるのが、高性能なAIであり、さらにそのAIが今後も進化し続ける余地があると考えると、大いに期待が寄せられます。

実際、利用者の行動パターンや習慣から継続的に学習し、より一人ひとりにパーソナライズされたサービスを提供できるようになるとのこと。デモビデオでは外出先からペットや大切な人の近況ビデオを送信して投影したり、その時の行動や気分によって部屋のムードを映像で設定することができます。家の電話でハンズフリーで通話をしたり、家庭用プロジェクターで映像を投影したりといった個々の操作は従来の家電でもできましたが、それらが一体化することで、どんな恩恵が受けられるのか、どんなパーソナライズがされるのか考えてみるのも興味深いでしょう。

rabbit r1

スマートフォンが高機能化、複雑化する中で、その路線とは真逆の方向にデザインされた、AI搭載スマートデバイスが「rabbit」です。現在199ドル（約3万円）で予約購入が開始されており、2024年3月後半に発売予定とのこと。

Rabbitは、小さな画面や360度カメラカメラが搭載されていますが、基本操作としては音声のみのタスクを実行するデバイスです。78mm*78mm*13mm、115g、大きさも重さも一般的なスマートフォンの半分くらいのサイズ感です。現在の対応言語は英語のみですが、今後のアップデートで日本語への対応も予定されています。スマホはさまざまなアプリが存在し、ありとあらゆることができる一方、シンプルさや使いやすさが犠牲になっています。スマホを使いこなしている人も、毎日使うアプリは実は10個以内であることが多く、普段から頻繁によく使うアプリや使い道は限定されており、rabbit のように、ボタンを押して音声で指示するだけで、素早く目的を達せられることをメリットだと感じる人も多いことでしょう。

「音声だけで指示する」と考えると、スマートスピーカーのように思えますが、それよりもボタンを押した時だけ音声を伝えるトランシーバーのようなものととらえることができます。rabbitはスマホの代替としてのデジタルデバイスではなく、誰か人間のような相手に音声で指示を出すデバイスなのです。

AI PC（AIパーソナルコンピューティング）

ここ最近の傾向として、AIの利用を前提としたパーソナルコンピューティング環境の選択肢が多数生まれつつあります。これまでも独自にLLM（大規模言語モデル）の研究や、興味を持って環境構築する人は、NVIDIA社製の高額なGPU環境を買い揃え、クラウド環境ではなく手元のコンピュータで動作環境を実験したりしていました。また Google Gemini などのAI環境も、非力なモバイルデバイスでもある程度の動作や結果が得られるGemini Nano といった効率化、最適化が進んだ言語モデルや、
クラウド側のAIに問い合わせることなく、画像認識できるカメラデバイスなど、CPUやGPUよりもAI演算に最適化されたプロセッサ、Neural Processing Unit というジャンルのプロセッサが存在します。

Intel Core Ultra, AMD Ryzen AI , Qualcomm Snapdragon X Eliteなどのプロセッサ、Gigabyte AI Gaming Laptopsは生成AIの利用を前提としたスペックをもったゲーミングノートPCで、AI技術を活用して生産性を向上させるというコンセプトで、AI PCというジャンルの盛り上がりが期待されます。

AIが浸透する範囲、テクノロジーが浸透する範囲

AIが搭載されてた家電は、日常生活を便利にするだけでなく、より効率的でパーソナライズされた体験を提供するために急速に進化していくことが考えられます。従来であれば、中途半端なパーソナライズは、サポートや使い勝手の面からかえって不利益になる場合がありましたが、AIを活用したパーソナライズであれば、何万通りでも個人ごとに調整が可能で、それらの調整や更新、最適化やサポートさえもAIに任せられる可能性があります。

今ある家電がより便利に、スマート○○と言えるような家電になることが期待される一方、今まで家電として存在しなかったサービスや手助けがAI家電として近い将来登場するかもしれません。

1. AI冷蔵庫：Bespoke 4-Door Flex Refrigerator

これまでもIoT冷蔵庫、デジタルカメラを搭載した冷蔵庫などは存在しました。現在はAIによってより高性能になり、冷蔵庫内部カメラとAIが中にある食品を認識し、消費期限を管理したり、レシピを提案するところまで来ています。

1. AIベッドやAI枕：Motion Pillow

睡眠パターンを監視し、最適な硬さや温度に自動調整することができます。いびきの予防にも役立ちます。

1. AI鏡：BMind

コンセプトモデル、実証実験としてはこれまでもスマートミラーは存在しました。BMindは、顔認識技術を使用して健康状態を分析し、スキンケアのアドバイスやシチュエーションに合わせたメイクの指南なども行えるでしょう。

AIのコストと電力がこれからの課題

AI活用のために膨大なコンピューティングパワーを必要とし、そのための電力の確保も重要な課題になっています。家電製品など、一般消費者向けのデジタルデバイスにAI機能を搭載する場合、どこでAI関連処理を行うかによって、サービスのビジネスモデルや、コスト構造が変わってきます。主なコスト構造としては次のようなパターンが考えられます。

• サービスを提供する側がChatGPT APIのコストを負担する。デモやコンセプトモデルの段階では良いが、実際に多くの利用者に向けてサービスを提供する場合、処理スピードやサポート体制、費用面で見合わない可能性があります。
• OpenAIのGPTsのように、サービスをパッケージングして提供するが、コストを支払うのは実際にそれを使うユーザーというコスト負担をお願いする場合もあるでしょう。
• 独自のLLM（大規模言語モデル）を用意し、サービスに最適化された形で、ChatGPTと同等のサービスを提供する方法。研究開発目的であれば良いですが、一般消費者向けサービス提供用のマシンコスト、運用、メンテナンスなどのコスト考えると割りに合わないかもしれません
• より安価なLLMサービスを利用する。Microsoft Office製品からAIを呼び出して活用したり、Google Workspaceのようにオフィス系サービスに組み込まれて、費用を支払って利用する場合も増えていくことでしょう。
• 端末側でAI関連の計算を行うエッジコンピューティングなど、ハードウェアでサービスを提供し、ハードウェアの販売によってコストをまかなう方法が考えられるでしょう。

アルゴリズムなのかAIなのか。平坦化するカルチャー

ネット文化やテクノロジー分野を得意とするエッセイ作家であり雑誌記者のカイル・チャイカ氏をご存知でしょうか？ チャイカ氏が著し2024年1月に出版された『Filterworld: How Algorithms Flattened Culture』という書籍が、AI全盛時代のパーソナライズについて考えさせられる示唆を提供しています。

ネットで情報検索して探すレストランの選択から、ショート動画SNSのTikTokや動画配信のNetflix、YouTube、音楽配信のSpotifyといった日常生活におけるすべての事柄がアルゴリズムによる推薦の影響を強く受けています。膨大なコンテンツを持つサービスが個人個人に最適化した推奨と、その最適化の仕組みに合わせようとするコンテンツ製作者のいたちごっこが、結果的にどれもが似通ったコンテンツや、同じような傾向を持ち始めてしまうという懸念が提示さています。つまりはFilterworldでは、はカルチャー（文化）のフラット化（単一化）を懸念している論調が展開されています。

パーソナライズやその仕組みが人間の選択と創造性にどのような影響を与えるかについて、私たちの選択肢が用意にデータ化される時代に、どういう仕組みで推奨されているのか、チャイカ氏は「Algorithmic anxiety（アルゴリズムが引き起こす不安）」という切り口で個人の選択の積み重ねによって生み出される、本人が好きそうに見える（聞こえる）が、微妙に何かが違う、そういったアルゴリズムによる平坦化が一体何を意味するのかという重要な示唆を提起しています。

私たちの生活を形作るアルゴリズムや、どこにAIが使われているのか社会の構造を理解し、テクノロジーや文化に関わり続けることが人としての自主性を取り戻す第一歩であるという希望的な提言がなされています。

本連載の今後の予定：「CGへの扉」では、単なるAIの話題とは少し異なり、CG/VFX, アートの文脈から話題を切り取り紹介していきます。映像制作の現場におけるAI活用や、AIで価値が高まった先進的なツール、これからの可能性を感じさせるような話題、テクノロジーの話題にご期待ください。何か取り上げて欲しいテーマやご希望などがございましたら、ぜひ編集部までお知らせください。

CGへの扉：

Vol.58：生成AIによる映画産業の業務の置き換えはどこまで可能か？

Vol.57：AIを活用したCG論文紹介 #SIGGRAPHAsia2023 より

Vol.56：ハリウッド映画の自動生成も間近か？ AI動画の可能性

Vol.55：AdobeMAX2023開催。生成系AI全盛のSneaks

Vol.54：SIGGRAPH 2023基調講演における注目のAIトピック

Vol.53：CGの祭典SIGGRAPH50周年にみるAIの台頭

Vol.52：制作の現場に進出しつつあるAI

Vol.51：広告産業の事例が教えてくれる創造性を加速させるAIの活用法

Vol.50：脅威論がある一方で公式化する動きも。生成系AIに対する各界の反応

Vol.49：AI時代の勝者NVIDIA #GTC2023 レポート

Vol.48：頭の中を映像化

Vol.47：Gen-1登場。映像が映像を作る時代に

Vol.46：AIを活用したCG論文紹介 #SIGGRAPHAsia2022 より

≫≫すべてのバックナンバーはこちらから

Contributor：安藤幸央