CGへの扉 Vol.61：AIの影響を受ける素材ビジネスの生存戦略

生成AIによって、デジタル素材ビジネスは無くなる？

近年、AIによってなくなる職業が話題にのぼることがあります。ChatGPT登場以前は、AIによって無くなりそうな職業と、無くならないであろう職業、新たに生まれる職業などの認識が多くの人たちの間で共通認識として存在しました。そしてそのことが恐れられたり、議論になっていました。ところが高性能のChatGPTやさまざまな生成AIが身近になり手軽に使えるようになった現在では、AIの影響を大きく受ける職業は特定の職業ではなく、ありとあらゆる職業ではないかと認識され始めました。

人間だけが持っていると思われていたクリエイティビティの分野にも、生成AIは進出を進め、人間が体を動かして何かしなければいけなかったことも、産業用ロボットや、特定機能に特化したロボットによって代替され始めています。これまでも自動化が進んできた産業はありますが、より広く多分野にわたってさまざまな産業でAIの台頭が見受けられるようになってきました。

書籍の付録に素材集のCD-ROMがついていた、はるか昔の時代から、何かを製作する工程において「素材」はとても重要な要素でした。単に「素材」といっても、色のパターンから、質感や模様の素材写真、3Dモデルデータ、音の素材、写真素材、短い動画素材など、パッケージのデザインから広告映像制作まで多くの「素材」が扱われてきました。「素材」にはコンセプトや試作の段階で、完成イメージに近いものを仮素材として用いる場合や、安価で手軽に完成物のクオリティを上げるために使うような素材もあります。

例えば、フォトストックと呼ばれる著作権の課題がクリアされた素材写真サービスでは数百万枚の素材が用意されており、ライセンス契約を結んでいる利用者や、素材を購入した利用者は、多くの素材からイメージに近いものをわざわざ自分で撮影したり描いたりすること無しに素早く手に入れることができました。

ところが生成AIの登場で、その様相や、そういった制作の流れが少し変わってきました。生成AIを活用すれば、求める素材を言葉で説明さえできれば、そもそも素材を探す手間がなくなり、目的の素材を素早く確認できるのです。その際イメージが異なれば、さらに新しい指示をAIに与えれば、目的の画像が数種類まとめて目の前に現れます。数百万枚のフォトストックから、タグ分類やキーワード検索で頭に思い描いたイメージに近い画像を探すこと無しに、素早く素材が入手できるようになるのです。

生成AIが生み出した画像を商業用のデザインや広告、パッケージなどに利用するには、まだ一定のリスクや課題は残っていますが、機械学習に利用したデータの権利がクリアされた、いわゆる出どころのはっきりした生成AIも、大手各社から登場しています。AIはちょっと…と敬遠していた人も、制作スピードやコスト面のメリットから、そうは言っていられない状況になってきました。生成系AIの活用により、需要と供給のスピードが限りなくゼロに近づき、クリエーターが求める素材に到達するまでのスピードが限りなくゼロに近づいてきているのです。そうなると、AIによって職が奪われるというよりもAIを使いこなす人によって職が奪われるというのが現実かもしれません。

植物3DモデルのGscatterのAI戦略

Graswald GmbH は建築CGや都市計画用のCG、大規模な植栽、森林などをCGで作成する際に重宝されている、植物系素材に特化した3DCGモデルデータライブラリGscatterを販売しているドイツの企業です。CG制作の中でも植物は特にデータの制作が面倒で手間のかかる分野であり、その上、人工物に比べてその植物の形状や植生に少しでも違和感があると多くの人がそれに気づくという難しいモデルのひとつです。

Graswaldが最近、$3.3M（2024年4月時点で約5億円）の投資を集め、graswald.ai というAIプラットフォームを始めたことが3DCG業界で話題になりました。Graswaldの創業者であり、graswald.aiのCEOでもあるJulius Harling氏は、10代の頃から世界中の3DCGクリエーターを集めた巨大なコミュニティを築き、育ててきました。Harling氏がずっと抱えていた想いは、3DCGの便利さと、その一方にある制作の難しさでした。

3DCGでさまざまな映像表現ができますが、その制作は、ときにはエラーでうまくいかなかったり、作業に膨大な時間がかかったりします。コンセプトアートで描かれた三次元空間を再現するために何人ものCGアーティストが総出で数日かかることも普通です。制作プロセスも、制作会社によっては、毎回素材ファイルを用意したり、編集中のファイルを受け渡したりと時代遅れの手順が残っている部分もあります。さらに3DCGツールが使いこなせるようになるには、長時間のトレーニングによる習熟が必要な上、そういったスキルを身につけた人たちが多数でさまざまな工程を分業し、やっと映画のような大規模な映像作品が作れるといった状況です。

Harling氏は、ヨーロッパのテック企業を紹介するメディア Tech.eu のインタビューで、「3Dは次世代のメディアだが、その制作方法はまだ1990年代から抜け出せていない。我々は最新の生成AIの進歩を活用することで、3D制作の未来を構築します。graswald.aiは3Dコンテンツの制作コストを95％以上削減すると同時に品質も向上させます」と回答しており、graswald.aiでは、3DCGのアーティストや専門家でなくとも平易に3D表現を自社製品のカタログ等に活かせるテクノロジーとして生成AIをより平易に使えることを目指し、デザインツールFigmaやCanvaとの連携を進めています。graswald.aiを使えば、複雑な手作業や専門的なスキル無しでも、商品カタログを3D表現できるようになることが期待されています。

graswald.aiでは実際の製品を撮影した短いビデオ映像から3Dデータを自動生成しており、AIはデータの切り抜きや3Dデータの再構成を受け持っており、手作業で切り抜いたりデータを並べ直したり、つなぎ目を消したりといった3DCG製作時にありがちな細かな作業はすべてAIまかせです。照明の行き届いた撮影スタジオもいりません。薄暗い倉庫で撮影した動画でも十分なのです。

しかし、Graswald社が直面しているのは、自社が誇る膨大な3Dモデルライブラリーの価値が、AI技術の進化によって急速に低下してしまう可能性があるということです。この課題に対処するため、Graswald社は自社の3DモデルライブラリーをAIサービスへの転換の呼び水として活用し、スムーズにビジネスモデルを変革しようとしています。この事例は全体からみると小さな話題かもしれませんが、AIによる素材生成が日常化する中で、伝統的な素材ビジネスのあり方を再考する必要があるという業界全体の課題を反映しています。

この生成AIの過渡期において、技術の進化とビジネスのタイミングの見極めは非常に重要です。既存の素材ビジネスから生成AIへのスムーズな移行を実現する早すぎても遅すぎてもバランスを欠くことになります。Graswald社はこの絶妙なバランスを保ちながら、生成AI時代の制作プロセスへと移行しようとしています。Harling氏がもともと描いていた理想に近づこうとする手段がライブラリから生成AIに変わっただけで、本質は見失っておらず、何も変わっていないとも考えられます。

Graswald社の取り組みは、3DCGという非常に特化した分野におけるものですが、一歩引いて考えると現在進行中の技術革新が全ての素材ビジネスに影響を与えることを示唆しています。生成AIの台頭は、クリエイティブ産業全体に対して、ビジネスモデルを考え直す機会を突きつけています。Graswald社のような企業が直面している課題は、業界全体が直面する大きな流れの一部であり、これからも多くのビジネスが生成AIの進化に適応し、ビジネスモデルの変革が求められているのだと考えています。

Adobeが利用者を保護する知財免責

・生成AI時代の責任あるイノベーション

生成AIは、創造性と効率性、ここまで紹介したように素材作り、素材の用意に関してとても新しい可能性を秘めています。生成AIの潜在的なリスクを理解し、責任ある方法で使用するために必要な措置を講じることが重要です。画像生成AIであるAdobe Fireflyは、Adobeが権利を保有する画像やパブリックドメインの画像など著作権上問題のない画像のみをトレーニング素材として使用していると表明しています。さらに、その自信の表明としてAdobeは「Fireflyで画像を作った企業が権利侵害で訴訟を起こされた場合には法的に補償する」ことを明らかにしています。

実際は、複雑な権利関係や、意図せず権利がクリアにされていない画像が混ざってしまった場合、悪意を持って権利がクリアにされていない画像が混ざってしまった場合など、訴訟される可能性はゼロではありません。そのリスクを受け入れられる範囲のリスクだと認識し、万が一訴訟が起こっても勝てる、もしくはそれほど悪い方向にはならないであろうと英断したのでしょう。自らのツールの存在価値を左右する、生成AIの普及と浸透を後押ししようとしている企業としての姿勢が読み取れます。また、もしかしたら権利関係が曖昧な生成AIを企業が利用するリスクを明示し、ライバル企業を一歩引き離す意図もあるかもしれません。

素材探しの時間を限りなくゼロに近づける。Adobe Premiere ProのAI親和性

動画編集ツール Adobe Premiere Pro が新しく展開し始めたのは、動画制作の素材として画像生成AIである Adobe Firefly をダイレクトに呼び出して活用したり、Adobe社製ではない動画生成AIである Pika社の Pika や OpenAI Sora を呼び出して使えるようになるという機能です。

従来であれば、差し替え用の素材を探したり、用意するのに膨大な手間と時間がかかっていました。フォトストックで目的に合致した素材がなかったり、わざわざロケ先の現場で再撮影する手間やコストなどがありました。Adobe Premiere Proの紹介映像を見ると、生成AIを活用すると、手間がゼロ、時間がゼロとまでは言いませんが、限りなくその時間や手間がゼロに近づいていることがわかります。

素材である限りは、求めるものに完全には一致しないかもしれませんが、素早く完成に近い状態まで持っていけること、素材を見ることで、制作者のイメージが広がり、素早く試行錯誤や、比較検討が行える利点もあるでしょう。AIが生成する画像や動画はまだまだ….と言われたとしても、コンセプトやデモの仮映像の作成が素早くできるとなれば、本編の撮影や制作のスピードや試行錯誤に使える時間も増えてきます。演出者と制作者のイメージのズレによるやり直しも軽減することでしょう。

Adobe Premiere Proの紹介ビデオは、派手さこそありませんが、映像制作へのスムーズさを、まざまざと感じさせる、納得のデモ映像になっています。ひと昔前であれば、未来の映像ツールであったものが、いま目の前の現実として存在しているのです。

本連載の今後の予定：「CGへの扉」では、単なるAIの話題とは少し異なり、CG/VFX, アートの文脈から話題を切り取り紹介していきます。映像制作の現場におけるAI活用や、AIで価値が高まった先進的なツール、これからの可能性を感じさせるような話題、テクノロジーの話題にご期待ください。何か取り上げて欲しいテーマやご希望などがございましたら、ぜひ編集部までお知らせください。

CGへの扉：

Vol.60：AIは世界を認識したのか？ Soraが描き出す物理世界

Vol.59：生活に浸透するAI、身の回りの「弱い」AI

Vol.58：生成AIによる映画産業の業務の置き換えはどこまで可能か？

Vol.57：AIを活用したCG論文紹介 #SIGGRAPHAsia2023 より

Vol.56：ハリウッド映画の自動生成も間近か？ AI動画の可能性

Vol.55：AdobeMAX2023開催。生成系AI全盛のSneaks

Vol.54：SIGGRAPH 2023基調講演における注目のAIトピック

Vol.53：CGの祭典SIGGRAPH50周年にみるAIの台頭

Vol.52：制作の現場に進出しつつあるAI

Vol.51：広告産業の事例が教えてくれる創造性を加速させるAIの活用法

Vol.50：脅威論がある一方で公式化する動きも。生成系AIに対する各界の反応

Vol.49：AI時代の勝者NVIDIA #GTC2023 レポート

Vol.48：頭の中を映像化

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Contributor：安藤幸央