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80年代の秋葉原カルチャーから生まれたゲームAIの萌芽:『ゲームAI技術入門』刊行記念特別対談レポート(前編)

2019.11.18ゲーム

80年代の秋葉原カルチャーから生まれたゲームAIの萌芽:『ゲームAI技術入門』刊行記念特別対談レポート(前編)

2019年10月4日、三宅陽一郎氏による新刊『ゲームAI技術入門』の刊行を記念したトークイベントが、秋葉原で開催されました。著者の三宅氏との対談のゲストに呼ばれたのは、株式会社ゲームアーツの創業者で、現在はジークゲームズの代表取締役社長を務めるゲームプロデューサー、宮路洋一氏。イベントでは、国内外におけるゲームAI開発の軌跡はもちろん、1980年代の秋葉原カルチャー、時代を先取りしたゲームアーツの開発秘話、これからゲームAIが向かう方向性など、ゲームAI開発最前線の過去と現在と未来について語られました。

ゲームAI技術入門とは

三宅陽一郎氏(以下、三宅):前置きとして、『ゲームAI技術入門』について簡単に説明したいと思います。本書は、2012年にWEB+DB PRESSというプログラミング技術情報誌に寄稿させていただいた特集記事を膨らませたものです。

人工知能は大きく2つに分類されます。ひとつは記号主義に基づいたシンボルによる人工知能。IBMのワトソンやGoogle検索などが技術例に挙げられます。もうひとつはコネクショニズムに基づくニューラルネットによる人工知能。人間の脳の回路を真似た技術で、近年では囲碁AIのAlphaGoなどが代表的な応用例です。

現在は第三次AIブームと呼ばれ、こうした技術はゲームAIの開発にも応用され始めています。また、最近ではディープラーニングや統計学的といった機械学習も積極的に取り入れられるようになりました。

ゲームAIは、「ゲームの中」と「ゲームの外」で種類や用途が異なります。ゲームの中のAIとは、キャラクターAIやナビゲーションAI、メタAIといったゲームコンテンツの一部となるものです。一方、ゲームの外のAIとは、シミュレーション技術やデータマイニング、自動バランスAIなど、ゲーム開発者の代わりに作業してくれる開発環境としての技術です。

ゲーム開発の歴史は、東洋と西洋で異なる道を歩んできた背景があります。東洋では、実現したいゲームプレイが先にあって、それに合わせてゲーム世界を作る傾向にありました。例えるなら遊園地やお化け屋敷のようなものです。日本の人気ゲームの多くは、こうした考え方で作られてきました。

それとは反対に西洋のゲーム開発では、現実世界を模倣したゲーム世界を先に用意して、それを活用してゲームプレイを構築していくというアプローチが取られました。オープンワールドのようなゲームデザインが代表的な例です。

ここまでゲームAIの話をしてきましたが、今回の対談でテーマにするのは、宮路さんが1987年に手がけられた『ぎゅわんぶらあ自己中心派』(1987年、ゲームアーツ)という本書の中でも取り上げさせていただいたゲームです。宮路さんは秋葉原との縁が深いということで、今日は80年代の秋葉原についてお話できればと思っています。

ゲーム産業がなかった時代の秋葉原

宮路洋一氏(以下、宮路):懐かしいですね。当時はアニメイトどころか飲食店すらなく、電子機器に特化した街という印象でした。僕は高校1年生くらいの頃から秋葉原に出入りするようになりました。まだパソコンというものが出始めたばかりの時期で、Apple IIやTRS-80、コモドールシリーズといった海外の製品が主流でした。シャープのMZシリーズが世に出る前の話です。

三宅:当時はパソコンを買えない人がほとんどでしたから、マイコンショップというパソコンですらない機器を自由に使える空間に、多くの若者が集ったんですよね。

宮路:やっぱりみんなゲームで遊びたかったんですよ。ちょうどインベーダーゲームがブームになった時期ですから。自由に使えるマイコンでゲームをプレイしたり、勝手にゲームを作ったり。そういう時代でした。

三宅:今では考えられないかもしれませんが、当時はゲーム産業そのものが存在しなかったんですよね。

宮路:アタリの『ポン』(1972年、アタリ)や任天堂のゲーム&ウオッチは販売されていましたが、まだゲーム産業といえるような規模ではありませんでした。パソコンの新製品が出るたびに、店側からゲームを作って欲しいと頼まれたものです。それでパソコンショップのためにゲームを作るようになったのが、ゲーム開発者としての始まりでした。

三宅:まだ高校生だったんですね。

宮路:そうなんですよ。お店からカセットとラベルを渡されて、自宅で300本とかダビングするわけですよ。高校生のはずなのに、納品書とか請求書とか発行して、月末に小切手をもらうという生活をしていました。

三宅:それは同人ゲームだったんですか。それともプロとしての作品ですか。

宮路:いや、同人じゃないですよ。お店から頼まれているので商業作品ですよ。不思議な世界があったものです。一方、ツクモソフトのように店でダビングしているケースもありました。

三宅:この時代は、ゲームというより同人ソフトの略で「同ソ」という言葉が一般的に使われていましたよね。1989年の「コミックマーケット36」で初めてゲームが産業として入ってきたという印象です。『ぎゅわんぶらあ自己中心派』は実質、宮路さんのデビュー作だったのでしょうか。

宮路:そうですね。その前にも何本かゲームは作っていたのですが、実際にプロデュースしたり思考ルーチンを考えたりとか、かなり思い入れのある1本ということですね。当時はメモリが少なかったので、ゲームがバンバン作られていた時代です。そんな中、このゲームは2年かけて開発しました。当時としてはものすごい時間をかけたことになります。

三宅:当時はゲーム1本の開発期間が平均3か月くらいでしたよね。

宮路:下手したら1日に3本作るというケースもありましたからね。まあ、ほとんどクソゲーですけどね。

ウィル・ライトが蒔いたAIの種

三宅:ゲームAIにおける意思決定には、大きく分けてルールベース、ステートベース、ビヘイビアベース、ゴールベース、タスクベース、ユーティリティベース、シミュレーションベースの7種類があります。

その中で、ユーティリティベースAIを使った代表作として、『The Sims(邦題:シムピープル)』(2000年、マクシス)が有名です。このゲームでは、シムと呼ばれる住人たちの一つひとつの行動に幸福度が設定されていて、そのつど、最も多くの幸福度が得られるような行動選択がなされます。プレイヤーができることは家具を買って設置することぐらいで、シムたちが家具を使って何をするのかはすべてユーティリティベースのAIが決定するというわけです。

『The Sims』シリーズは日本ではそこまでではありませんが、アメリカではシリーズ累計1億本以上を売り上げている大人気のゲームです。アメリカでは銃を撃つゲームが好まれる印象が強いかもしれませんが、『The Sims』のようなジャンルも根強い人気があります。

ちなみに、宮路さんは『The Sims』の生みの親であるウィル・ライトさんとは旧知の仲ですよね。彼はどういう人物ですか。

宮路:彼に出会ったのは、ブローダーバンド社で『バンゲリングベイ』(1984年、ブローダーバンド)という有名なシューティングゲームを作っていた時でした。共通の友人を通じて知り合って、年末年始になると毎年みんなで集まってゲームの話で盛り上がったのを覚えています。

『シムシティ』(1989年、マクシス)という有名なゲームは、この頃に生まれました。彼はそれを『バンゲリングベイ』のマップエディタを使って作っていたんです。当時はアクションゲームしかない時代だったので、最初は街を作るゲームの何が面白いのかさっぱり分かりませんでした。その後、彼は『シムアース』(1990年、マクシス)や『シムアント』(1991年、マクシス)を立て続けに作りました。

一言で表すと、彼は純粋な科学少年って感じでしたね。常にマックを持ち歩いていました。シミュレーションが好きだったんでしょうね。だから『The Sims』はアリを観察するように人間観察をするために作ったんじゃないでしょうか。そういう人でした。

三宅:今回の書籍では、『シムシティ』に関しても記述しています。このゲームでも、基本的にプレイヤーは施設を置くだけです。それを繰り返すことで自動的に街が発展していくというゲームです。ここでもプロシージャルというゲームAIの自動生成技術が使われています。そういう仕掛けを、ゲーム開発者はいろんなところに埋め込んでいます。

時代を先取りしてAIへ個性を埋め込んだ

三宅:『ぎゅわんぶらあ自己中心派』を本書で取り上げるきっかけとなったのは、宮路さんから手渡された60ページ近くにおよぶ同作の仕様書でした。これ、タイプライターか何かで書かれたんですよね。

宮路:富士通のワープロで書きました。ワープロってもう死語なのかな。

三宅:ワープロで書かれたゲームの仕様書がそのまま残っているというのは、ゲーム業界では極めて珍しいことなんです。ゲーム業界の人たちは潔くて、開発が終わるとすべての資料を記憶の彼方かゴミ箱へ捨ててしまうという悪い癖があるんですね。ほとんどの場合、仕様書はおろかコードすら残っていなくて、本人さえ忘れているなんてことも。

後からゲーム業界へ入ってきた私たちは、どうやって作ったのかがまったく分からなくて困るんですよね。『ぎゅわんぶらあ自己中心派』は完全な仕様書が残っているという稀有な例で、しかもユーティリティベースのパラメータ調整に関して事細かく書かれているんです。

宮路:大学生の頃は麻雀にハマっていて、ヤングマガジンで連載していた『ぎゅわんぶらあ自己中心派』という漫画が大好きだったので、どうしても麻雀のゲームを作りたいと思っていました。

当時、ゲームセンターにジャンピューターというものがすでにあったので、その思考ルーチンを真似できれば何とかなると、最初は軽い気持ちで考えていました。ところが、いざ作ってみると、原作に登場するキャラクターの面白さが全然表現できなかったんです。

三宅:『ぎゅわんぶらあ自己中心派』は、それぞれのキャラクターが個性的な打ち方をするんですよね。ツモにこだわるやつもいれば、七対子(チートイツ)ばかり狙うやつもいたり。

宮路:麻雀の強さを求めたかったんじゃなくて、麻雀における個性を表現するのがテーマだったんです。それが思いのほか難しくて、まずはちゃんと麻雀が打てるAIを作らないといけませんでした。それをゼロから始めて、結局2年もかかってしまったというわけです。

三宅:仕様書を書き始めるまでに2年なんですか? それとも書きながら2年なんですか?

宮路:最終的に落ち着いた仕様をまとめるのにかかった時間です。個性のあるキャラクターを作る上でパラメータがあまりにも多すぎたので、仕様書にまとめないと作れないんですよ。自分のために形として残したという経緯があります。

三宅:そのプロセスが極めて現代的だなと感じました。1980年代のゲームは、その場その時のためのコードを直接書いて作っていました。例えば、プレイヤーが来たら敵AIがジャンプして襲いかかるみたいな。それはAIが考えているのではなくて、外から制御しているに過ぎないんですよね。だから別のゲームを作る時には、すべてのAIを作り直すことになります。

近年では、自律的に動くAIを最初に作って、それを脚色することで個性を演出するのが一般的です。キャラクターの個性を出すために、ちゃんと自分で麻雀が打てるAIを作るところから始めるという考え方は、1980年代の当時はまだなかったんじゃないでしょうか。そういう意味で、宮路さんの軌跡はゲームAIの歴史において重要な意味を持つ事例だと思います。

AIが自分の想像を超えた時の喜び

宮路:あの頃は毎晩のように「ワン欠け」(メンツが1人足りないという意味)と電話がかかってきて、麻雀漬けの毎日でした。勝っても負けても興奮して、その時の思考をどうやってゲームに落とし込むかと、そればかり考えていました。そうしているうちにあっという間に2年が経って、僕の青春は麻雀に持っていかれました。女の子とデートもせず、ひたすら麻雀漬けの2年でしたね。

三宅:それにしても、よく現在まで仕様書を保管していましたね。

宮路:やっぱり2年の青春を捧げて作ったものなので、とても捨てられませんでした。

三宅:これは何歳の時に書かれたんですか。

宮路:この時は21歳でしたね。麻雀ばかりで荒んでましたね。

三宅:その時、一緒に麻雀をプレイしていた人は、『ゼビウス』(1983年、ナムコ)をプログラムした遠藤雅伸さんを筆頭に、すごいメンバーだったんですよね。

宮路:その中の1人はプロ雀士になっちゃいました。

三宅:ゲーム開発はCPUとメモリによる制限が課題になりますよね。ちなみに『ぎゅわんぶらあ自己中心派』におけるパラメータの容量はどれくらいだったのですか。

宮路:1キャラで700バイトくらいですね。だから対局中は4キャラで2,800バイトを使っています。

三宅:1つのパラメータが1バイトと考えると、3,000個近いパラメータがあったということですよね。それらを調整すればちゃんと動くという保証なんてあったんでしょうか。

宮路:そんなことは考えていませんでしたね。若さですね。

三宅:3,000個のパラメータを夜な夜な調整して、それでAIが賢くなる直感みたいなものはあったんですか。

宮路:これはいけると思ったのは、テストプレイの時でした。面白いかどうかを判断するのはAIじゃなくて、結局人間なわけですよ。これでいいかどうかを決めるのは、自分の感性でしかありません。数字はあくまでも結果です。

『ぎゅわんぶらあ自己中心派』を作っていた際に経験した面白いエピソードがあります。タコ宮内っていう麻雀が下手なキャラクターがいるんですけど、こいつは役を知らないので、同じ牌を並べる暗刻が好きなんです。この特徴を再現した時に、ある問題が起きました。

何が起きたかというと、せっかく四暗刻(スーアンコウ)単騎という役満を作った時に、それをカンしてしまったんです。これはどういうことかというと、役満というすごい点数の手を自ら捨ててしまったわけです。なぜそんなことをしたのか。こいつはカンが好きなんです。これはさすがにタコとはいえバグだろうと、この時は考えました。

しかし、しばらく放置していたら、こいつは僕の想像を超えたんです。何をやったかというと、四槓子(スーカンツ)という役満であがっちゃったんです。これにはびっくりして、バグではないという結論に至りました。想像を超える結果が出ることがあるんですね。

三宅:先ほど話した昔のゲームAIのように、その場その時の状態にパッチを当てるようなAIを作っていると、自分の決めたとおりにしか動かないので、そういうことは絶対に体験できないんですよね。意外な行動が見られるのは、ゲームAIを作る上で一番面白い部分ですよね。

近年のゲームAIはどんどん自律的な方向へ向かっていて、その時々に吸収した情報を基に自分で考えて、新たな行動を生み出していくジェネレーティブな存在になりました。先ほどの麻雀のキャラクターでいうと、どんな手を打つかを700個のパラメータから生み出しているわけです。これこそがAIの本質だと思います。

ゲームの外側へ進出したゲームAI

三宅:最近ではゲームのデバッグにもAIが使われるようになりました。最新ゲームのデバッグ作業は、最大で数百人規模になってしまうんですよね。それだけで膨大なコストがかかってしまうので、AIにやってもらおうという流れになっています。ゲーム開発をするAIも必要です。

宮路:それは失業するのでやめてください。

三宅:ところが失業するどころか、どれだけ人を増やしても足りないんですよ。開発期間数年という事例も普通になっています。それはさすがに長すぎる。大規模であっても開発はできれば2~3年内に抑えたい。そこで、たとえば、地形データは計算によって自動で生成できます。

宮路:フラクタルを使った自動生成アルゴリズムですね。

三宅:今回の書籍では、プロシージャルの項目で取り上げています。AIが作成したフラクタル画像は1980年代からあります。当時は3日くらいかかっていましたが、今なら一瞬で作れます。

宮路:ゲームアーツで昔作った『シルフィード』(1993年、ゲームアーツ)というシューティングゲームでは、フラクタルを使った自動生成が用いられています。あれは僕の弟が担当したんですけど、ゲームアーツのメンバーはそういうのが好きなんでしょうね。

三宅:たしかにゲームアーツはトップ技術の塊みたいな会社ですよね。当時は3Dグラフィックを作ることがまだ容易ではなかった時代なので、それを限られたスペックでいかに演出するかは、ひとつの大きなテーマでしたよね。

一方で、日本のゲーム開発はスクリプトによる作り込みが上手だったので、自律型AIの開発へ移行する時期が遅かったんですよね。2002年くらいまでは日本が世界最強と言えるような状況でした。その頃のアメリカではFPSというジャンルが大流行して、それが自律型AIを作ろうという方向性へ舵を切るきっかけになりました。

2010年以降はオープンワールドゲームが主流ですね。だだっ広い世界の中で色んなイベントが起きて、基本的には何をやってもいいというデザインです。この10年はオープンワールドばかりに関心が集まって、そろそろ頭打ちになってきています。その間に日本がAI技術でようやく追いついてきたという印象です。

ここで、なぜ私がこのタイミングで本を出したかという話につながります。ゲームAIの歴史はFPSが普及した2002年に始まって、それまでは第0期だったといっていいと思います。その後、2002年から2017年の15年間が第1ラウンド。この間にキャラクターAIやナビゲーションAI、メタAIをはじめ、色んな技術が発達しました。

2015年以降は外側のAI、つまり開発工程におけるAIに注力しようという動きが強まりました。これから何が起こるかというと、ディープラーニングをはじめとした機械学習の技術がゲーム業界に変革をもたらすでしょう。ゲームのバランス調整も背景も、モデリングもある程度AIが作ってくれて、デバッグもAIがやってくれる。どこまでAIの学習によって作れるか。それが第2ラウンドです。いま、その競争がものすごい勢いで加速しています。

ゲーム業界は変化が激しいので、もしかしたら来年には傾向が変わっているかもしれません。そういうわけで、この本はいま出しておかないといけないと思いました。この業界に15年いますけど、毎日が新人の気分です。長くいれば有利というわけではなくて、どのタイミングで入るかによって状況は変わるんですよね。

三宅陽一郎|YOUICHIRO MIYAKE

京都大学で数学を専攻、大阪大学(物理学修士)、東京大学工学系研究科博士課程を経て、2004年よりデジタルゲームにおける人工知能の開発/研究に従事。九州大学客員教授、理化学研究所客員研究員、東京大学客員研究員、国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI専門部会チェア、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。連続セミナー「人工知能のための哲学塾」を主催。著書に『人工知能の作り方』(技術評論社)など。共著に『高校生のための ゲームで考える人工知能』(筑摩書房)、『FINAL FANTASY XV の人工知能』(ボーンデジタル)など。

宮路洋一|YOUICHI MIYAJI

1963年生まれ。18歳のころよりアスキーで活動。1985年に弟の宮路武氏らと株式会社ゲームアーツを設立し、パソコンや家庭用を問わず数多くの作品を企画、制作、プロデュース。メガドライブでは『ぎゅわんぶらあ自己中心派』、メガCDでは『ルナ』シリーズや『シルフィード』、セガサターンでは『グランディア』などを制作、プロデュース。以後、2005年まで同社の代表取締役を務める。株式会社ヘッドロックの名誉顧問などを経て、現在は自身の会社ジーク ゲームズを設立。諸方面で活躍中。

≫後編につづく

Writer:Ritsuko Kawai / 河合律子

 

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