モリカトロン株式会社運営「エンターテインメント×AI」の最新情報をお届けするサイトです。

TAG LIST
ゲームAIディープラーニングモリカトロンAIラボインタビュー遺伝的アルゴリズムGDC 2019さかき漣小説薄明のバルドは知っているCG映画三宅陽一郎CGへの扉VFXデバッグスクウェア・エニックス機械学習CMSIGGRAPHAmadeus CodeQA不完全情報ゲームメタAI齊藤陽介サルでもわかる人工知能ガイスターボードゲームゲームブロックチェーンOpenAI Five強化学習映像ピクサーAdobeニューラルネットワーク作曲ビッグデータイベントレポートアストロノーカナラティブモリカトロンパラメータ設計バランス調整対話型エージェント人狼知能マルチエージェントエージェントシミュレーションVR音声認識ロボティクスキャラクターAIナビゲーションAIeSportsDota 2OpenAIソーシャルゲーム眞鍋和子淡路滋グリムノーツゴティエ・ボエダGautier BoedaシーマンJuliusTPRGバーチャル・ヒューマン・エージェントクーガー石井敦茂谷保伯森川幸人成沢理恵お知らせマジック・リープMagic Leap Oneノンファンジブルトークン水野勇太里井大輝GEMS COMPANY初音ミク転移学習GAN敵対的生成ネットワークデバッギングアニメーションリップシンキングUbisoftUbisoft La Forgeワークショップ知識表現IGDA北尾まどか将棋どうぶつしょうぎ畳み込みニューラルネットワークナップサック問題ジェイ・コウガミ音楽ストリーミングSpotifyReplica Studioamuse音楽マシンラーニング

連載小説「薄明のバルドは知っている」第四回 “Rhinestone Eyes” #さかき漣

2019.7.12アート

連載小説「薄明のバルドは知っている」第四回 “Rhinestone Eyes” #さかき漣

第三回“Clover Over Dover”

≪電源を入れる≫

VR。

翠(すい)の体は、Shimokitazawaのマンションから空へ飛び出した。両手を軽やかに伸ばし、空中を滑らかに泳いでいく。

居住国Japanの島々から外れて太平洋を見下ろし、遥かイングランドへ飛んでいく。イングランド上空の寒さをやり過ごし、やがて高度を下げる。寒さの和らいだ代わりに、雲海の下には雪が降っていた。

12月のイングランドはスノーホワイトの昼夜。街からクリスマスカロルが響いてくる。懐かしい音色に、思わず翠は口ずさんでしまう。

名残惜しくクリスマスマーケットを飛び越えて、さらに飛ぶ。海へ。潮の香りと断崖にぶつかる飛沫の共演の場所へ。

やがて、目当ての古城が見えてきた。

翠の目の前で千颯(ちはや)はいつものおどけた仕草をして見せた。それから石の城の窓枠に手をかけ、体をグイっと持ち上げると空に向かって飛んだ。

翠は千颯を追いかけて、雪の空へ舞い出る。

雪の冷たさも、自分の身体の落ちていく空気抵抗も翠は感じられる

千颯は翠のすぐ横を穏やかな顔で落ちていく。恐怖心など欠片もないようだ。目は穏やかで上空を見つめている。千颯の瞳は濃い茶色。激しく純粋だったころの瞳は燃えるようだったけれど、今ここで空を見上げる瞳の穏やかなことと言ったらどうだろう。

落ちていく千颯の手を取ろうと、翠は自分の手指を伸ばした。何度も伸ばすが、千颯の手はするりと翠から逃れてしまう。どうしても手を繋ぐことができないのだ。

助けたいのに助けられない。

高度が下がるにつれ、徐々に千颯はまぶたを閉じていく。

とうとう地表が近づいてきた。もうすぐ千颯は頭部から地面にぶつかるのだ。それを知ってか知らずか、千颯の表情は穏やかだ。すべての悩みから解放されたかのよう。

これまで現実の汚さとやりたいことへの情熱のはざまで苦しんできたけれど、死を選んだ千颯は達観したのだろうか。投身すると決めてから地表につくまでの短い時間が、千颯にとって人生でいちばん楽な時間だったのかもしれない。

もうすぐ地表だ……。

翠の両目に涙が滲んできた。今にも嗚咽がもれてしまいそうだ。

ちょうどそのとき、ホームシステムの“Azur”(アジュール)から通知が入った。アジュールは翠のマンションをすべて管理し、オーナーの要望を叶えるコンピュータだ。翠は彼に名前を付け、家族のように呼んでいるのだ。

VRの画像に重なるように、翠の目の前に表示が出る。「セオドアが入室を求めています」と。翠はセオドアへの入室許可の前に、VRの電源を落とすようアジュールに指示を出した。

≪電源を落とす≫

現実。

翠の自宅であるShimokitazawaの高層マンションには、プライベートな研究室とともに没入型VRシステム専用室がある。

システムによる幻影は消えたものの、翠はまだ虚空を見つめていた。セオドアには今の自分の顔を見せたくなかったのだ。しばらく返答がなければ、彼は仕事に戻るだろう……。そう考え、翠はまぶたを閉じる。

そのとき、翠の背後から予想外の音が響いた。驚いたことに、セオドアが入室してきたのだ。あわてて翠は椅子から身を起こす。続いてセオドアは、二重扉まで難なく開けてしまう。

「翠」

オーナーの戸惑いに気づかないのか、アンドロイドはくったくなく話しかけてくる。

「これまで何度も言いましたが、みずから傷をえぐる必要はないんですよ」

セオドアの言葉に、翠は戸惑いすら忘れ、さっと目を伏せた。

VRを落とした室内は、本来の機械的な様相を呈している。オーナーの希望に応えて、アジュールが楽曲“Rhinestone Eyes”を流し始めた。

“I’m a scary gargoyle on a tower

That you made with plastic power

Your rhinestone eyes are like factories far away”

翠の好きな歌だ。曲に合わせて、小さな声で歌う。

電源とともに照明を落とした室内は、夜の色に沈んでいる。部屋の壁はすべてガラス張りで、外の景色が見渡せる。学術市民居住特区であるShimokitazawaでは珍しいことに、翠のこの部屋は眺望が完全に開けているのだ。

Shimokitazawaに限らずTokyoでは、窓外には隣接するビルの外壁と窓が並ぶのが当然だった。「自宅の窓を通して景色を眺める」という行為がTokyoから消えて久しい。窓は、あくまでレトロなデザイン性を保持するために残された慣習だった。たとえば換気や空調などは窓を介さず、居住特区のシステムによって一括管理されている。形骸化した“窓”は、今やもっぱら居住者の好みの2D画像を映す画面として活用されていた。

VR室の真ん中に、翠のための椅子が置かれている。椅子からは、Tokyoの夜景が一望できた。果ての見えないビル群の放つ光、しかし翠はそれを美しいと思わない。むろん汚いとも思わないのだが、自分の求めているものではないと本能が主張している。

「テディ、急用でもあったの」

プライベートな空間では、翠はセオドアを愛称で呼ぶ。

「20世紀の仏料理を用意してみたんです」

「は」

意外な出来事に、翠は生返事をしてしまう。

レトロへの回帰がそこかしこに散見される2051年、Japan。他の事物と同様に、食事にも懐古趣味を求めることは可能だ。しかし多くの人はそれを非日常の娯楽として楽しむに過ぎない。日々の暮らしにおける食事とは、ホームシステムによって用意される“栄養素”である。個々人の医療データや体調に合わせ、最も適した食事が提供されるのだ。しかし翠はときおり思い立ったように“非合理の食卓”を求め、それに応えるのはセオドアだった。

翠が驚いたのは、特に要望を出していないにもかかわらず、セオドアが懐古趣味の食事を用意したからだ。たとえば翠のためのカフェオレやアーリーモーニングティなどの嗜好品は、セオドアにとってはルーティンワークの一環である。今日のようなことは初めてのパターンだ。

翠は内心、おおいに戸惑った。プログラムの不具合だろうか。

案内されるままにダイニングルームへ向かおうとし、ふと見上げたセオドアの瞳に、翠は視線を止めた。

「そういえばテディの目はグレイね。それも、よく透き通ったライトグレイ」

分かり切ったことをあらためて口にした翠だった。

「ええ。あなたと出会ってから、ずっとこの色ですよ」

「千颯の瞳は、深い茶色だったわ」

「ゲノム編集が自由におこなえるようになって、人種や血による不平等が減ったのは良いことではないでしょうか」

セオドアはさらりと会話をつなげた。

「……そのとおりよ」

翠はもとより人種差別を嫌悪していた。だからこそ、ゲノム編集の一般民衆への普及を歓喜とともに迎えたものだ。「自分の意志で、人生のどの時期においても、容姿をいかようにも変えられる」ということは、「容姿という分野における不平等が、人の判断基準のひとつから脱落した」ということだ。

しかしゲノム編集の自由化が、新たな問題を社会にもたらしたのも事実だった。地球では、2051年現在も冷戦が続いている。当然ながら其々の帰属先ごとに主義主張が異なるのだが、容姿をいかようにもできるため、ぱっと見では他者の真の個人情報が分かりにくい。外見の不平等が激減することは、内面を見抜く重要性をさらにクローズアップさせたとも言えるのだ。

かつて、シンギュラリティがくれば多くの物理的な問題が解決され、人類はユートピアのごとき時代を迎えると言われたことがあった。しかし先日も教授との会話で取り上げたように、翠はこれに懐疑的だった。ひとつの問題の解決は、次の複数の問題を運んでくるのが常だ。結局のところ技術の発展とは、その時点での問題を解決することで幾ばくかの利益がもたらされるということであって、人類が悩みのない桃源郷を迎えられるということではない。

むろんゲノム編集の自由化によって人種差別が減少に向かうのは喜ばしい。人類が有史以来どれほど愚かな行為を重ねてきたか、人種差別や人身売買などの酸鼻たる歴史を鑑みれば当然である。さらには差別をされた人が、その痛みを知っているはずなのに、今度は別の対象を差別することもあるのだ。多くの場合、人は他者の痛みに鈍感だ。

翠は考える。恨みに恨みでもって対抗することに、はたして意義があるのか? おそらく答えは、負の連鎖を止められる人が止めるしかない、ということだ。しかし「負の連鎖を止めるという偉業をなすひとが、最も大きな苦痛を負う」というのは、おかしくないか。千颯は、それをしたのだ。事象の犠牲者でありながら、恨みで対抗せず、自死によって負の連鎖を終わらせた。だからこそ千颯は、最後まで美しかったのだ。

しかし千颯が止めたはずの負の連鎖は、悲しいことに、翠に居場所を移してしまった。翠の「千颯の名誉を回復したい、彼の飲み込んだすべてを代わりに吐き出してあげたい、彼に正当な評価を」と願うことは、翠の利己的な欲求である。利己から利他へ昇華させるべき事柄を、千颯がなした美徳を、翠は逆方向に進めているのか? そんな自責にかられる瞬間があったとしても、このままでは千颯は浮かばれないと、やはり翠は思い直してしまうのだ。

この状況は、VR技術が発達したことと無関係ではない。テクノロジーの進化によって、翠のなかの「無垢の千颯を殺した、薄汚い世界を修正する」という思い、換言すれば「恨みの感情」は、日々、強まっているのだ……。

VRの中に飛べば、翠はかつての記憶をいま起きていることのように反芻できる。それは過去の人類からしたら羨ましいことだろう。しかし翠は、“過去のトラウマから逃れることが出来なくなっている”のだ。

人間には、元来「忘れる」という機能が備わっている。つらい記憶や過去の恋の思い出などは自然と薄れていき、その後の人生を楽にすることもある。しかし翠は、それができないのだ。VR技術が、翠に過去の枷を着けている。

人間が生まれ持っていた「忘却の効能」を翠は失った。この牢獄から逃げ出せない……。

「翠。もう十分程度、手が止まっていますよ」

翠はなかば考え込みながら食卓に向かっていたのだ。セオドアの指摘によって我に返り、ダイニングテーブルに意識を戻した。

卓上には彩り豊かな皿が多数並んでいた。“栄養素”でない“原始的な食事”はセックスを想起させる。切った肉塊を口元に運ぶ、唇を開く、フォークで口中に挿し入れる。噛みついたプラムから果汁がしたたる、唇を舐める、拭う。

翠とセオドアの食事は、そのままセックスに移行するのが常だった。理性で構築しあった関係であるはずなのに、セックスはしている。恋愛感情の結果としてのセックスでなくて、寂しさを埋めるためとか排せつのためのセックス。

セオドアはもともと、セックス専用のアンドロイドとして開発された量産品の一体であった。それに独自の改良を加えたのは翠だ。セオドアは射精までするが、それは人工皮膚などと同様にあくまで疑似のものであって、彼に快感はないものとされている。いや、セックスの快感のみならず、彼にはあらゆる情動がないのだ。

もしもセオドアが人間であるのなら。翠がセオドアに課している役目は、端的に言って残酷だ。

だからこそ、彼が情動や自我を持たずに存在することが重要なのだ。それはセオドアの尊厳を守ると同時に、翠の罪悪感を和らげる。翠は自身の知識と経験を駆使し、セオドアの改良をおこなった。情動や自我、あるいは“意識”が生まれないよう、それらを引き起こす可能性をできる限り排除した。

結果として翠の同居人は、理性のみ特化した、極めて優秀な人工知能として生きているのだ。

今の翠の人生のパートナーは、この秀抜にして無機質な“テディ”なのだ。研究室のカプセルの中に立つ千颯の横で、翠はテディとキスをする。その後、翠はVRシステム室に入って千颯の追想のうちに遊ぶ。そして千颯のために人間の恋人は作らないと、機械であるテディとセックスをする……。

セオドアの背に腕をまわしながら、翠はいつも思う。私はいま誰とセックスしているのだろう、と。

≪電源を入れる≫

VR。

イングランド育ちの千颯。子供の頃から音楽が好きだった。様々な機材に囲まれ、作曲と演奏で時を過ごした。ジュニアハイスクールに上がれば自然と音楽仲間が増えた。千颯はクラブDJやライヴをするのが日常となった。

可愛がってくれる大人が出てくるのも自然な流れだった。なかでも印象的だった人物が綾部(あやべ)だ。綾部は音楽のみならずAIにも詳しかった。千颯は彼から多くの影響を受けた。大学の専攻にAI研究を選んだのも、その故だ。

大学生になってすぐ、天才的DJともてはやされ始めた。千颯は瞬く間にミュージシャンとして成功し、“普通でない幸せ”を手に入れた。

≪電源を落とす≫

現実。

“I’m a scary gargoyle on a tower

That you made with plastic power

Your rhinestone eyes are like factories far away”

翠にとって、セオドアは千颯と対極にある存在だった。言うなればセオドアは「静」かつ「理性」であって、千颯は「動」かつ「本能」である。

かつて本当に生きていた人間の千颯が、ヴァーチャル・リアリティの中に存在していて。本当は生きていないはずの機械のセオドアが、リアリティの中に存在している。

≪電源を入れる≫

VR。

千颯と翠の出会いから、クラブでの再会。多くの偶然が重なって恋人になったこと。

交際が始まって以降、翠は千颯の脳のデータを細密にとっていた。研究のサンプルとして欲しかったのは勿論だ。しかしそれ以上に、「千颯の能力の秘密を自身の手で解き明かしたい」という熱が翠を突き動かしたのだ。なにより、千颯の天才性を疑ったことがなかったから。

とはいえ当時の翠は今以上に未熟だった。とても一学生の手に負えるレベルの研究ではない。しかし「時間をかければいつか叶うかも知れない。それを自身のライフワークとできたなら」と翠は思った。

家庭も子供も要らない。“普通の女性の幸せ”など欲しくない。千颯という天才を、一瞬の花火で終わらせず、データと理論によって人類の歴史に残したいと、強く思った。

≪電源を落とす≫

現実。

“I’m a scary gargoyle on a tower

That you made with plastic power

Your rhinestone eyes are like factories far away”

生身の人間である翠がテクノロジーによって過去の檻に閉じ込められている。その翠を現実の世界に引き戻すのが、テクノロジーの具現とも言えるセオドアだ。

ここには、不可思議な逆転現象が起きている。

≪電源を入れる≫

VR。

古風な衣装に身を包み、ふたりの男性が笑いあっている。中世イングランドの豪胆な王であったヘンリー二世と、その側近であり“親友”でもあったキリスト教者、トマス・ベケットだ。

王と聖職者。身分も職責も異なる彼らを強く結びつけたのは、どちらも勇猛果敢な精神の持ち主であったが故か。しかしその友情は成立の理由からしても、小さなひずみが大堤防の決壊に直結するのは想像に難くなかった。

大陸とイングランドの間に横たわる海峡、ドーヴァー。甚大な勢力の諍いを隔てるには、あまりに狭い海だ。

フランスはノルマンディーに滞在していた王は、新しい報せに激怒した。王の言葉に触発され、四人の騎士がドーヴァーを渡る。フランスからイングランドへ。かつての王の盟友、大司教ベケットを暗殺するがために。

波しぶきが遠くなり、映像の舞台はカンタベリー大聖堂に切り替わった。刺客がベケットの背後に迫る。四本の剣がベケットの頭部を切り裂く。聖職者は倒れ、脳が床に飛び散る。

大司教の暗殺に、キリスト教界には激震が走った。ベケットは殉教者として、異例の早さで聖人に列せられる。奇跡も多く起きたと人は言った。

ベケットの死により、いよいよカンタベリー大聖堂はイングランド屈指の巡礼地として栄えることとなった。

≪電源を落とす≫

現実。

“I’m a scary gargoyle on a tower”

翠は歌をくちずさむ。アニスとフェンネルの香り立つハーブティを手にしながら、日の当たる植物園に座っている。むろん植物園といっても、3Dの疑似画像に囲まれているだけである。

「ときおり考えるわ。VRは、本当にすべてが幻なのか、それとも、本当の本当はそうでないのか、と」

翠はつぶやく。

「千颯はVRの中で、とても彼らしく活動してる。音楽を作り、DJをし、未来への夢を語る。だから……つまり千颯は、千颯の一部は、今も生きていると言えるのではないかしら」

翠がまだ続けようと唇を開きかけると、鋭い声がさえぎった。

「いい加減にしたらどうですか?」

セオドアだった。厳しい声音に驚き、翠はすぐさま振り返った。

「彼の死亡は、公的記録に照らしても明らかな事実です。翠の一連の行動は、異常と表現する人もいるほどのものでしょう」

翠は目を見開いた。このようにセオドアが厳しく発言することは、これまではなかったことだ。

セオドアには入手後の改良時、「オーナーを傷つけない」というプログラムを課してある。アイザック・アシモフのロボット三原則のような、言ってみれば“セオドア三原則”をプログラムしてあるのだ。にもかかわらず、原則を覆す会話をなしている?

≪電源を入れる≫

VR。

ベケットと王の諍い。いつものように、史実どおりに進んでいくのを翠は見つめている。

カメラはカンタベリー大聖堂のポーチを抜け、側廊を進む。さらに身廊へ移動すると、内陣仕切りの向こうに人影が見えた。ベケットが祭壇の前にひざまずき、祈りを捧げているのだ。いや、ベケットではない……翠は目を凝らす。どう見ても、その横顔は千颯なのだ。千颯が聖職者の衣をまとい、大聖堂で祈っているのだ。翠の身体は震えだす。

歴史の流れは止まることがない。千颯の背後に、じりじりと刺客らが近づいてく。王の側近たちに混じり、見覚えのある姿がある。……綾部、だった。

四人は剣を構える。しかし剣が振り下ろされる前に、千颯が振り返った。

千颯はすっくと立ちあがり、綾部らに対峙した。しかし武装を凝らした綾部らと対照的に、千颯は丸腰だ。ただ視線のみ強く、どこまでも純粋だった。

数秒の後、無情にも綾部らの剣は振り下ろされた。千颯はそれを真正面から、目を開いたままに受け止める。

四方に飛び散る、肉と液体……。

翠は絶叫した。

≪電源を落とす≫

現実。

“I’m a scary gargoyle on a tower”

翠とセオドアは、マンションのダイニングルームで食事をとっていた。四方の壁は緑豊かな景色を映し、ふたりの様子はさながら湖水地方で休暇を過ごす恋人たちのそれだ。

シャンパングラスに手を伸ばした翠に、セオドアが紙片らしきものを示して見せた。

「そういえば、パーティの招待状が届いていました」

セオドアの手にあったのは、クラシカルな紙の封筒だった。万年筆で書かれた流ちょうなサインに、バーガンディの封蝋。

「マクシェイン氏のご厚意ですね」

翠は少なからず驚き、グラスを運ぶ手を止めた。セオドアの顔と封筒とを交互に見つめる。

自分の関知せぬところで何が起きたのか。データやモノが自宅に届くとき、アジュールからまずは翠に知らされることになっているのだ。にもかかわらず、なぜ翠を差し置いてセオドアが知っていて、しかもそれを持っている?

「人工知能の研究者も多数いらっしゃるようですよ」

翠はあらためてセオドアの顔を見た。いったい、この逆転現象は何なのだ。

≪電源を入れる≫

VR。

マンションの窓から空へ舞う。星空を渡り、海を越え。いつしかドーヴァーのホワイトクリフ、雪にけぶる古城、そしてカンタベリー大聖堂が見えてくる。

幻の世界は美しい。幻影は、潤いと情動にあふれている。

翠の大好きな“Rhinestone Eyes”をアジュールが流してくれるから、翠は歌う。

“That’s electric

Your love’s like rhinestones falling from the sky

That’s electric”

≪電源を落とす≫

現実。

現実はひたすら渇いて、ひび割れている。

気に入りの曲を、翠は歌う。

“That’s electric

Your love’s like rhinestones falling from the sky

That’s electric”

≪電源を入れる≫

≪電源を落とす≫

≪電源を入れる≫

≪電源を≫

≪電源を≫

≪電源を≫

➤第五回へ続く

 
Author:さかき漣、Illustrator:ruff、Lyric:『Rhinestone Eyes』(Gorillaz、2010年、GORILLAZ 301)
連載小説「薄明のバルドは知っている」第四回 “Rhinestone Eyes” #さかき漣

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

の最新情報をお届けします

RELATED ARTICLE関連記事

CGへの扉 Vol.1:CG/VFXにおける人工知能の可能性と、その限界

2019.4.17アート

CGへの扉 Vol.1:CG/VFXにおける人工知能の可能性と、その限界

連載小説「薄明のバルドは知っている」第一回 “Tender”  #さかき漣

2019.5.22アート

連載小説「薄明のバルドは知っている」第一回 “Tender” #さかき漣

CGへの扉 Vol.2:なめらかなキャラクタアニメーションと、ディープラーニングの役目

2019.5.15アート

CGへの扉 Vol.2:なめらかなキャラクタアニメーションと、ディープラーニング...

RANKING注目の記事はこちら