モリカトロン株式会社運営「エンターテインメント×AI」の最新情報をお届けするサイトです。

TAG LIST
ゲームAIディープラーニングモリカトロンAIラボインタビュー遺伝的アルゴリズムGDC 2019さかき漣小説薄明のバルドは知っているCG映画三宅陽一郎CGへの扉VFXデバッグスクウェア・エニックス機械学習CMSIGGRAPHAmadeus CodeQA不完全情報ゲームメタAI齊藤陽介サルでもわかる人工知能ガイスターボードゲームゲームブロックチェーンOpenAI Five強化学習映像ピクサーAdobeニューラルネットワーク作曲ビッグデータイベントレポートアストロノーカナラティブモリカトロンパラメータ設計バランス調整対話型エージェント人狼知能マルチエージェントエージェントシミュレーションVR音声認識ロボティクスキャラクターAIナビゲーションAIeSportsDota 2OpenAIソーシャルゲーム眞鍋和子淡路滋グリムノーツゴティエ・ボエダGautier BoedaシーマンJuliusTPRGバーチャル・ヒューマン・エージェントクーガー石井敦茂谷保伯森川幸人成沢理恵お知らせマジック・リープMagic Leap Oneノンファンジブルトークン水野勇太里井大輝GEMS COMPANY初音ミク転移学習GAN敵対的生成ネットワークデバッギングアニメーションリップシンキングUbisoftUbisoft La Forgeワークショップ知識表現IGDA北尾まどか将棋どうぶつしょうぎ畳み込みニューラルネットワークナップサック問題ジェイ・コウガミ音楽ストリーミングSpotifyReplica Studioamuse音楽マシンラーニング

連載小説「薄明のバルドは知っている」第三回 “Clover Over Dover” #さかき漣

2019.6.28アート

連載小説「薄明のバルドは知っている」第三回 “Clover Over Dover” #さかき漣

第二回“Anodyne”

2044年、イングランド。

厳冬だった。雪が風に舞い、冷たい風は頬を刺す。千颯(ちはや)はコートのフードを深く被っていた。翠(すい)はダッフルコートの前をきっちりと閉め、さらに両手でからだをかばった。マフラーを何重にも巻き、その中で呼吸を繰り返す。翠は、千颯の後を追うように歩いていた。止まったら凍えてしまいそうだ。

恋人たちはドーヴァー城に向かっていた。千颯が「行きたい」と言ったからだ。

12月も終盤だった。街のそこかしこが、クリスマスの多幸感で装飾されている時節だ。その賑わいから外れ、ふたりは古城へ向けて歩を進めている。

ドーヴァー城の建つのは海峡を臨む断崖の上だ。海峡とは無論ドーヴァー海峡。島国と大陸を隔てる海として、世界史のうちに常に強い存在感を放ってきた。

ドーヴァーのホワイトクリフからは、大陸が微かに見える。フランスの港町カレーまで僅かに38㎞と言われる。人が泳いで渡ることも可能なほど狭いこの海が、地政学的に大きな意味を持つのは当然だった。そして、ドーヴァー城が英国にとって最重要の防壁となったことも。

翠と千颯は二日前から、ドーヴァーにほど近い街、カンタベリーに滞在していたのだ。ロンドンから電車で一時間弱、カンタベリーは英国国教会の聖地だ。つまり英国屈指の巡礼の町である。加えて12月ともなれば街路はデコレーションとクリスマスカロルで浮き立ち、人々はしきりに笑顔を交わしていた。

しかし街のクリスマスを楽しむこともなく、ふたりは急きょ取ったB&Bでごく静かに過ごしていた。静かに? いや、“絶対に目立たぬように”と。

そして今朝、まだ陽も上る前の時間。翠が目覚めるなり千颯が言ったのだ、「ドーヴァーに行こう」と。翠は疲れのせいか随分長く眠ったが、どうやら千颯は一睡もせずに昨夜を過ごしたようだった。

カンタベリーからドーヴァーまで路面電車に乗った。明け方だが、電車は走っている。発足から14年になる“世界統一連盟”では、加盟している上位先進国の公共交通機関はすべて自動で遠隔管理されており、原則として24時間運行なのだ。当然ながらイングランドも筆頭先進国のひとつである。

路面電車の速度はATOにより管理されている。車内に運転士や車掌らしき姿が見え隠れするが、アンドロイドだ。とはいえ彼らは古風な制服を着けており、紙製のチケットの検札までおこなう。車両もレトロで、50年前とほぼ同じ外観と雰囲気を維持している。

翠と千颯は電車から降りると、木々のうちの小道へ入った。町の高台に位置するドーヴァー城は、周囲を森に囲まれている。ふたりは氷のタペストリと霜のタイルのなかを歩く。五分もすれば長い坂道の向こうに、ドーヴァーの城門が見えてきた。

ドーヴァー城は11世紀にウイリアム征服王が建てた城塞のひとつだ。軍事色の強い堅牢な城だが、敷地にはノルマン征服以前に建てられたセント・メアリ教会があり、さらにはキープ内に礼拝堂が二か所も設けられている。

「ヘンリー二世の信奉者に惨殺された聖職者、トマス・ベケットを弔ってる。王の贖罪がこの城の拡大に一役買ったって」

千颯は淡々と語る。

「いつの時代も、人間て血なまぐさい権力闘争やってんだな」

「古城に死のストーリは付き物だわ」

翠は応えたものの、戸惑いを隠せない。千颯には不似合いすぎる話題だ。

とはいえ千颯の言う通り、世界ではいまだ様々な勢力が諍いを続けていた。国際連盟に代わって世界統一連盟が発足した今や、核を中心とした冷戦は過去のものだが、要は投げるボールが変わっただけである。文明の発展は既存の問題への解決策を提示するが、新たな問題を運んでくる。そして人類がそれを乗り越える、または受け容れるという過程も必然だ。今の人間にとって当たり前の事物が、過去の人間にとっては怪物や魔法であったりしたのだ。ひとつ変わらなかったのが、人間の生まれ持ってのゲノム情報だった。これが変わるとき、人類は人類ではない、言ってみれば“新人類”となり、まったく未知の文明を構築するのかも知れない。

ふと誰かに見られている気がして、翠は背後を振り返った。真っ白な雪景色のなかに、派手な色彩がぽつんと浮いている。それは、バーガンディのローブを着けた人の後ろ姿だった。頭にはフードを被り、長いローブの裾は雪原に引きずられている。翠は少なからず驚き、その姿を見つめた。

こんな厳しい雪の朝、しかも聖夜まであと僅かという時節に、海べりの古城を訪れる人がいようとは。しかし翠の視線から逃れるように、人影は歩みを速めた。白く凍った木々の向こうへ消えてしまう。

「翠」

千颯の呼び声に、翠は我に返る。城門をくぐり、敷地内に入るのだ。

「ここにいると、街のクリスマスが嘘のようだわ」

冷え切った手指を合わせる。

「今、わたしたち、凄惨や寂寥の積み重ねの中を歩いてる。石のひとつひとつに過去の苦悩が染み付いてるみたい」

見れば見るほど、ドーヴァーは堅牢な城だった。峻険なレクタンギュラー・キープを中心に、周囲を内郭壁や塔、バービカン、外郭城壁などの防護施設が取り囲む。いわゆるコンセントリック型の走りである。征服王ウイリアムが建造した後、ヘンリー二世の御代に大幅な改築がおこなわれたのだ。ヘンリー二世のお抱え技師モーリスにより、防塞としての機能が強化された。

翠と千颯はキープの扉を押し開けた。ふたりが足を踏み入れたキープの堅牢なことには、改築当時の欧州では抜きんでた存在だったという。石造りの壁は、場所によっては厚さ5メートルを超えている。

キープに入って幾つ目かの部屋を通り抜けようとしたとき、翠はまたも第三者による視線を感じた。辺りを見渡す。と、広間の奥、薄暗がりに人影を見つけたのだ。翠は目を見開いた、その人がバーガンディのローブを着けているからだ。まさか先ほど雪原に消えたのと同一人物なのか。

翠の視線の先で、バーガンディは揺れていた。厚い石壁は外気を遮断し、城内の空気は澱んでいる。にもかかわらず、はためくバーガンディのローブ。まるで風を受けているか、もしくは何らかの力が加わっているか……。翠は、背中を冷たいものが這いまわるのを感じた。

しかしすぐにも、人影は遠ざかっていく。床に引きずられているはずのローブの裾が、滑らかに動く。そして別の部屋へ消えていった。

翠は首を振った。

千颯は石造りの階段を黙々と上っていた。無人の空間に靴音のみ派手に響く。

「ベケットは12月29日に殺された」

やっと千颯が口を開く。

「もうすぐだ」

千颯の言葉に、翠は顔をしかめた。

「過去の凄惨な事件の日にちが、私たちに何の関係があるの? それに暗殺の現場はカンタベリー大聖堂だわ、ここじゃない」

「背後から何本もの剣に襲われ、頭が割れた。脳が床に飛び散ったらしいね」

「恐ろしい話をしないで」

千颯をいさめようとした翠だったが、ふと異様な気分にとらわれ口をつぐんだ。またも、自分たちを見詰める何者かの気配を感じたのだ。鋭く、同時に粘るような陰の視線。

振り返れば、そこにはやはり、バーガンディのローブが立っていた。

翠は今度こそ戦慄した。心臓が凍りそうになりながらも、しかし、その存在から目を離すことが出来ない。そんな翠の前で、ローブの人は徐々に距離を縮め、とうとう翠から1メートルもない場所に立った。

あまりの恐怖に、翠は全身を硬直させた。ローブの人物はおもむろに体を動かす。青白い手指がローブの袖から露出し、その両の手には刃物が握られていた。ダガーナイフだった。さらにはローブのバーガンディ色が、徐々に変化し始めるのだ。くすんだ赤のなかに拡がっていく、墨色。

みるみる拡がる、闇の色。翠は吐き気を覚えた。ローブはもはやバーガンディではない。完全な黒色だった。濃い墨に染まったローブの人物は、フードの陰になって表情は見えない。しかし現れること三度目にして、とうとう翠を真正面から見据えたのだ。見えない眼窩に、鋭い瞳孔を宿しているのが翠にも分かった。

胡乱の瞳孔は明滅する。翠は凍り付いたように身動きが取れない。助けを求めようにも、声を出すことすら出来ないのだ。

そのとき、静寂を破る声があった。

「ベケットの最期の言葉は?」

千颯だった。

千颯の言葉が石壁に幾度か反射するうちに、ローブの人物は霧散して消えた。封印を解かれたように、翠は体の自由を取り戻す。それでも暫くは無言だった。恋人の質問に答えられないまま、数十秒が経過した。

薄暗い城内。翠はやっと呼吸を整えて言葉を絞り出す。

「……“喜んで私は死ぬ。神の名のため、教会を守るために”」

自分のものとも思えない低い声音に、翠は震えた。

千颯の足は階段を上り続け、止まる気配がない。翠は息を切らしつつ後を追う。

これまで幾つの部屋を通り、幾つの石段を踏んだのだろうか。ふたりがカンタベリーのホテルを出たとき、まだ陽は水平線の下にあった。あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。もう、夜明けは来たのか。

やっと千颯が立ち止まり、翠はその背中にぶつかった。どうやらキープの最上階に着いたようだ。窓外の景色に、少しく明るさを感じる。

千颯はやっと足を止め、石の壁にもたれかかった。

「まさか綾部(あやべ)に裏切られるなんて」

それは、カンタベリーのホテルで千颯から何度も聞かされた名前だった。

三週間前のことだ。千颯は、音楽活動を支えていたエージェントから「お前が死ぬのがベスト」と宣されたのだ。とりわけ酷いのは、率先して千颯を糾弾した人物が、千颯が長年慕ってきた恩師、綾部だったということ。

「綾部のセリフ、絶対に忘れないぜ」

千颯は乾いた笑いを浮かべる。

『誰のおかげで売れたと思ってるんだ。なんの実績もないガキが急に成功できるほど甘くないんだよ』

綾部の言葉のとおり、千颯の成功には裏があった。世界の協定違反をすることでミュージシャンとして成功していたのだ。協定違反とはつまり、脳とウェブを直接つなぐ実験。違法な人体実験の被験者となる代わりに世界規模の名声を得ていたのである。

むろん被験者となったのは千颯の意志ではない。綾部や彼の取り巻きが発端だ。千颯が時代の寵児となってから一年が経過し、翠との交際も半年が過ぎようという頃、千颯の身辺に変化があった。規模は大小さまざまだが、得体のしれない事件が頻発したのだ。それにともない、側近らが次々に姿を消していく。とりわけこの三週間は恐ろしいものだった。

実験は国際協定で禁じられた行為だ。当然ながら非合法の技術者が執りおこない、そして関係者が逃げてしまった今、千颯には為す術がないのだ。翠に研究者としての知識や経験が多くあれば解除も可能だったかもしれない。しかし、できないのだ。

「昨夜のこと、あなたの自尊心を傷つけてしまったなら謝る」

翠は千颯に必死で問いかける。

「でも、条件を飲めばいいんでしょう。今は大人の判断をすべきときよ」

「……」

千颯は黙ったままだ。

そうだ、ふたりはロンドンから逃げて来た。しかしこんな逃亡劇は時間の問題だ。

ドーヴァー城も路面電車と同様に、人の従業員はいない。ことドーヴァー城に関しては、ロボットやヒューマノイドをまったく見かけないほどに機械化されているのだ。こんな厳冬の雪の日に城を歩く者はいない。

この時代のレトロな景観はただの見せかけだ。実際には、あらゆる事物がテクノロジーの粋を尽くされている。この古城さえ、石の内部は完全に機械化されているのだ。しかしなぜ、千颯は逃げていられるのか? 

その場しのぎではあるが、皮下内蔵のIDチップを自分で取り出したのだ。腕には大きな傷が口を開けている。ふさがっていない、生々しい傷だ。この数日で、知っていたチップの場所を切り開き、皮下を調べては取り出した。千颯の腕、肩、足の甲。様々な箇所から鮮血が流れ出た。

とはいえチップをすべて除去できたとしても意味はないと、ふたりは知っている。2044年の地球だ。町中のいたる所で生体認証はおこなわれている。瞳の光彩や指紋、脈、唾液などから千颯の居場所を追跡するのは容易い。一見ただの草原に見えるような場所でも監視システムは作動しているのだ。

翠は唇を噛んだ。おそらく見透かされているのだ。逃げられないと分かり切っているから、最後に千颯がどうするかを当局は見ているのだ。投降するか、脳を切り開いて翠がいちかばちかのオペをするか。それか、自死。

あのローブの亡霊も、おそらく当局のアンドロイドだ。ふたりを追い詰めるゲームをしているのだ。最後のダンジョンをドーヴァー城に設定して。

千颯の後には、動くごとに道標ができていく。石の床に描かれる、赤い点の連続。

「血が滲んでるわ、千颯」

翠は涙ぐみそうになるのをこらえながら、バッグの中を探った。むろん血を拭ったところで意味はないのだ。しかし何もせずにいるなどできない。翠は繰り返し思う、人を幸せにするはずのテクノロジーがなぜ一部の守銭奴に悪用され、生贄は千颯なのか? 

翠は知っている。千颯は名声が欲しかったわけではない。カリスマになりたかったわけでもない。ただ、音楽がやりたかったのだ。しかし非合法のビジネスに巻き込まれた。歴史の犠牲者は常に弱い者、世間を知らない者だ。

「世の中は汚いって知ってたつもりだけど、本当に汚かったんだな」

ぽたぽたと赤い液体を垂らしながら、でも千颯は笑う。

「俺なら、神のためになんか死なない。音楽の自由のために死ぬって言うよ」

千颯はおどけた格好をして見せた。まだ安穏の日々を過ごしていた頃、翠によく見せた仕草だ。そして千颯は、窓枠に手をかけた。

翠は息を飲んだ。反射的に駆け寄る。

しかし、千颯は。

窓の向こうに、消えた。

翠は悲鳴を上げた。窓枠から身を乗り出す。下を見る。大好きな姿が、雪のなかに落ちていく。

翠は踵を返して走り出した。ドーヴァー城の無数の階段を駆け降りる。石を蹴る靴音が、無人のがらんどうに響く。

翠は灰色の閉塞から、白色の自由へ躍り出た。千颯の着地した場所へ走る。たどり着いたとき、恋人は空を仰いで眠っていた。翠はゆっくりと手を伸ばし、肌に触れる。慣れ親しんだ体と熱。

翠の恋人は瞳を閉じていた。しかし唇は微かに開かれ、そこから緩やかな流れが生まれている。赤い流れは頬とあごを伝い、地に着けばすぐに白色へ吸い込まれる。

雪に飾られ、千颯は美しかった。「自分は大衆に迎合しない、感性が鈍磨する前に潔く死ぬんだ」とよく話していた。その言葉に翠は幾度となく笑ったものだ、いつまでファンタジーを見ているの、と。体は通塗を受け容れながら、心は時間と空間を否定するのね、と。

無意識のうちに、翠は、千颯の散らばった脳をかき集めていた。失われたものを、欠けた頭部に詰めるのだ。雪と脳の混合物。白とコーラルピンクのグラデーションを描いて、翠に笑いかけてくる。

「大丈夫、戻せるわ」

雪が降りしきる。何が夢で何が現実か、それは分からない。しかし翠は千颯を元に戻そうと、両手を動かし続けた。戻せないはずがないと翠は知っていたから。

ふと気づくと、静寂が破られ、辺りに音が響いていた。聞き覚えのある楽曲。おそらく翠のバッグの中、愛用のデバイスから聴こえてくるのだ。誤作動でも起こしたのだろうか? 翠が落ち込んだ夜に聴くために作ってあったプレイリストだった。特に気に入りの一曲が流れ出すと、翠は自身の声を音色に重ねた。

「……If that is the fact, then in actual fact,……」

うわごとのように繰り返す。

正義はどこに? 純粋に生きているひとを救うのは誰? ソクラテスの最期は防げなかったこと? 愚かな大人、狡猾な大人たちが千颯を追い詰め、世界から放り出した。雪のなかで死ぬ千颯の寝姿はこの上なく美しい。生き残った者はみな汚いのだ。翠は世界を呪いたいが、自分もその世界の一部なのだ。

「私が戻してあげるから大丈夫」

歌っては脳を詰め、千颯に話しかけては脳を詰め。また歌い、話しかけ、脳の残骸と雪の混合物を詰めて。千颯の美しかった頭部を再現する。

「大丈夫」

降りしきる白、どこまでも白い世界。もはや鮮やかな赤もバーガンディもコーラルピンクも視界から消え失せていた。ドーヴァーの庭も断崖も白く、千颯の顔も翠の手指も一様に白く光る。

「……It’s not where it’s at and it’s over……」

翠は両手で千颯の頬を包む。

「千颯、きれいなままでいさせてあげる」

乾いた唇でつぶやく。

穢されたものを美しく戻すということ。壊れたものを直すということ。頭部の欠けたぐちゃぐちゃの恋人を元通りにするということ。正義が行使される社会にするということ。公正で平等な神のいる世界にするということ。

「大丈夫よ、千颯」

舞い落ちる白い結晶群。

「……It’s all over……」

白のみの世界。ふたりのためだけに雪は降り注いでいる。

照明が落とされ、薄暗い洋館。男性がひとり、燭台を手にして階段を上っている。男性の身体が動くごとに蝋燭の火も揺れる。

灯りに照らされ、壁に影が映っている。無数の影がうごめき、小妖精が火の周りでダンスを踊っているかのようだ。

暫くの後、燭台はテーブルに置かれた。つづいて男性の声が響く。

「君さあ、少し我慢を覚えようよ。僕にも立場ってものがあるの」

ピエロの扮装をしたオートマタに話しかけているのだ。

「みんな分かってるよね?」

豊かな芸術作品にあふれる室内に、館の主の声が響いた。磨き上げられた床には、赤い液体が流れている。そしてステンドグラス輝く窓にも、大量の、赤い飛沫。

第四回へ続く

 
Author:さかき漣、Illustrator:ruff、Lyric:『Clover Over Dover』(Blur、1994年、EMI MUSIC PUBLISHING LTD)
連載小説「薄明のバルドは知っている」第三回 “Clover Over Dover” #さかき漣

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

の最新情報をお届けします

RELATED ARTICLE関連記事

まだ見ぬAIのビジョンを描くSFの力:さかき漣氏×森川幸人氏 対談

2019.6.11アート

まだ見ぬAIのビジョンを描くSFの力:さかき漣氏×森川幸人氏 対談

CGへの扉 Vol.1:CG/VFXにおける人工知能の可能性と、その限界

2019.4.17アート

CGへの扉 Vol.1:CG/VFXにおける人工知能の可能性と、その限界

連載小説「薄明のバルドは知っている」第一回 “Tender”  #さかき漣

2019.5.22アート

連載小説「薄明のバルドは知っている」第一回 “Tender” #さかき漣

RANKING注目の記事はこちら