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連載小説「薄明のバルドは知っている」第二回 “Anodyne” #さかき漣

2019.6.12アート

連載小説「薄明のバルドは知っている」第二回 “Anodyne” #さかき漣

第一回“Tender”

「うわっ!」

声とともにハーヴィーはのけぞった。彼の足元に転がってきたのは、どう見ても人の手首だったのである。

ハーヴィーが目線を上げると、セオドアの左腕から手指がすっかり消えている。しかしおかしなことには、手首とともに飛び散るはずの血液のまったく見当たらないことだ。

「ご心配なく、ミスタ・マクシェイン」

落ち着き払った様子で、セオドアは自分の左手首を床から拾い上げた。

「すでにお気づきでしょうが、私はアンドロイドなのです」

答えながら、セオドアは慣れた様子で自分の腕に手首を乗せた。

床にへたり込んでしまっていたハーヴィーだが、すぐに得心がいったようだ。乱れた髪と伊達メガネを直しながら、あらためてセオドアと翠を交互に見つめる。

「はあ、なるほど。なるほどねえ……」

感心したふうのハーヴィーと落ち着き払ったセオドアに対して、翠だけは居心地が悪そうだ。うつむいてしまっている。

「えーと、セオドア君。それは自分で治せるんだよね?」

「もちろん」

セオドアが言う間にも、電子人工皮膚は再生し、みるみる手首と腕とを繋いでいく。数秒ののちには傷跡すら見えなくなった。すぐにセオドアは両手を滑らかに動かして見せる。

「それよりも、こちらのピエロには驚かされました。これがデフォルトの動作なのですか? つまり、至近距離に入った対象を攻撃してしまうという」

セオドアのもっともな質問に、ハーヴィーは頭を掻く。

「いや、ほんと、今回のことは僕としてもびっくり。アンドロイドの君だったからよかったけど、生身の人間相手だったらとんでもないことになってたよ。というか、セオドア、ほんと申し訳ない!」

ハーヴィーはボウ・アンド・スクレープをして見せながら、しきりに謝っている。

「埋め合わせさせてよ。何か僕にできることはない?」

しかしセオドアは柔らかな笑顔を見せる。

「私に関してはお気遣いなく。それよりも翠が、おそらく飲み物が欲しい頃合いかもしれませんね」

ハーヴィーが目をやると、翠は色を失っている。

「外の空気を……」

翠はそこまで口にすると、セオドアの胸にもたれ込んだ。

アンティークショップの屋上は、空中庭園になっていた。初夏の青空の下、色とりどりのバラがアーチや天蓋を這っている。そこかしこにハーブが群生し、芳しい香りを風に乗せる。

中でも美しいツルバラの茂った東屋に、客人は案内された。東屋のなかには、やはり瀟洒なテーブルセットが置かれ、柔らかなソファも置かれてあるのだ。ときおり微かな風に揺られ、マジェンダ色の花弁が舞い落ちてくる。

セオドアに抱きかかえられた翠は、ゆっくりとソファに横たえられた。ふたりを尻目に、ハーヴィーが呼び鈴を鳴らす。

「ペリウィンクル! ペニーロイヤル!」

鈴の音とハーヴィーの声が庭園に響くと、すぐに少女がふたり、ワゴンを押して東屋に近づいてきた。ワゴンに乗っているのはお茶の支度のようだ。

「レディ・スイを励ますために、英国式アフタヌーンティーを用意してみたよ。君たち、姫に最高のお茶を淹れてさしあげて」

少女らは、背格好から判断するに十歳前後だろうか。ひとりはロングの金髪に黒のリボンカチューシャ、もうひとりは金髪を三つ編みにし、やはり黒のリボン。ふたりともに、古風な水色のワンピースに白のエプロンを着けている。靴下もお揃いで、黒と白のボーダーだ。

「お姉さま。お紅茶はいかがいたしましょう。本日の茶葉はアッサムにイングリッシュブレックファスト、ベルガモット香るアールグレイもございます」

「ミルクはどちらがお好みですか? わたくしとしてはジャージー種がおすすめですの」

真っ青のまま倒れ込んでいる翠の代わりに、セオドアが少女らに応える。

「茶葉は……ミルクは……そして、スコーンにはクロテッドクリームとラズベリーのジャム」

セオドアが翠の好みをすらすらと口にした。その様子に、どうやら少女らはこぼれそうになる笑みを必死で我慢している。彼女らの気持ちを代弁するように、

「翠のこと何でも知ってるんだなあ」

とハーヴィーがしみじみ言った。

「単に、一緒に過ごす時間が長いからではないでしょうか。学習のための情報量が十分というだけかと」

「ふーん……セオドア君、翠の助手になってどのくらい?」

「五年が経ちました」

「セオドア君はじゃあ五歳ってことだよね」

「人間でいうところの“年齢”の概念と同じなのか分かりかねますが、エリアJ2で居住登録をしてからの年数はそのとおりです」

アンドロイドの居住登録は国際法規で定められている。ただセオドアらロボットに人間と同等の人権のようなものがあるわけではない。

2051年のJapanにおいて、アンドロイドは当たり前の存在だ。しかし彼らが“機械なのか命なのか”という問題に答えはなかった。というよりも、議論は未来へ据え置きされていたのだ。金銭で購入できる存在に命を認めてしまうのは、人間には難しい行為なのかもしれない。それは過去の奴隷売買などの酸鼻たる歴史を見れば自明である。

翠の体調回復を待つ間、ハーヴィーは様々な質問をセオドアに投げてみるが、彼はすべてに真摯に応えてくる。

「ロボットやAIと人間との関係を考えるとき、“フランケンシュタイン・コンプレックス”という有名な言葉を思い出す人もいるでしょう」

これはメアリー・シェリーによる小説『フランケンシュタイン』から影響を受け、SF作家アイザック・アシモフが考え出した概念だ。つまり、「もともと神の創造物に過ぎなかった人間が、まるで創造主になったかのように人造人間を作りだす」というストーリを読んだアシモフは、「いつか人類は『人間が神になる可能性への喜びと、被造物から創造主である人間が滅ぼされる可能性への恐れの、その両方を持つ心理状態』に陥る」と示唆したのだ。アシモフはこの危惧を起点に、“ロボット三原則”を考え出した。

正確には“ロボット工学三原則”、いわゆる“アシモフのロボット三原則”は、アシモフの“I, Robot”という小説で登場した。フランケンシュタイン・コンプレックスを克服する、いわば「ロボットの暴走を止めるための安全装置」の役目を果たすのが、ロボット三原則だ。

「しかし“アシモフのロボット三原則”は、100年前にSF作家が生み出した“思想”であって、“法”や“規範”ではありません。言ってみればファンタジーの一部なのです」

たとえばロボット三原則をそのまま現実世界に適用すると、“フレーム問題”を引き起こすとも危惧された。フレーム問題とは、1969年にアメリカの計算機学者のジョン・マッカーシーとパトリック・ヘイズによって発表された論文“Some philosophical problems from the standpoint of artificial intelligence”を端緒に、提唱され始めたものだ。有限の情報処理能力しか持たないロボットでは、実社会に起きる問題に対応するのは無理である、という考えだ。

よどみなく語るセオドアに、ハーヴィーは聞き入っている。

「さらには、そもそもロボットの定義とは何なのか、という問題が残されていますね。また“アンドロイドの誤謬”という問題もある。人間が、人型のロボットについて、過剰に生物のように取り扱ってしまうという問題です。愛玩動物を模したロボットについては、葬式をする日本人も多いと聞きます」

セオドアの話はまだ続きそうだったが、ハーヴィーが感嘆したように口を開く。

「セオドア君て、知識が豊富ってのはもちろん思うんだけどさ。それ以上に、君の冷静さに僕はびっくりだよ。自身のアイデンティティに関わる諸問題、ヘタしたら自己への全否定につながる問題について、ここまで淡々と語るって」

「いえ、そんなことは」

気付けば、お茶のサーブがひと段落の頃合いだ。ハーヴィーは美少女ふたりに「下がっていいよ」と声をかけた。ふたりはにっこりと笑って駆けだす。すぐにも庭園の真ん中にある噴水にたどり着くと、シャボン玉を飛ばし始めた。

おとな三人の残った東屋は、穏やかに静かだ。ソファにもたれる翠の服に、バラの花弁が幾つも落ちていた。いつもモノトーンのシンプルな服しか着ない翠を、少しだけ華やかに見せている。さらには、黒くて短い髪にも花弁が一枚。まるで髪飾りのようだ。

「ねえ、翠。僕に話したいことがあるんじゃないかな」

起き上がり、やっとティーカップを手にし始めた翠に、ハーヴィーが話しかける。

「翠が有能なAI研究者だったと知っているからこそ、僕は君にオートマタのコレクションを見せたかったんだよ。なのに、こんなに体調が悪くなっちゃうなんてさ。ああ、愚痴を言ってるんじゃないよ! ただ、すごく心配になった」

翠が視線を泳がせるのを見て取ったのか、セオドアが立ち上がった。

「バラだけでなく、様々な植物を育てているようですね。温室も幾つか見える」

「ここ、実際はイメージより広いの。ぜひ探検してみてよ」

セオドアがハーブの群生地を越え薬草園へ消えていくと、ハーヴィーは翠に真正面から向き合った。

「翠の悩みはオートマタと関係あるんでしょ。というか、ヒューマノイド。かな」

「分かるのね」

「君、感情を隠すのヘタだもん」

ハーヴィーはあっけらかんと言う。

「六年ぶりに恩師の研究室で鉢合わせるなんて、不思議なめぐりあわせじゃない? 僕ら、過去にはグレイトブリテンでしか会ったことなかったんだよ。それが今日、JapanのTokyoで、しかも塔ケ崎教授の研究室で、よりにもよって同じ時刻に!」

翠はしばらく迷っていたが、

「私たち、どう見える?」

と、ぽつりと口にした。

「どうって」

「だから、つまり、私とセオドアのことよ」

ハーヴィーが面白そうに翠を覗き込む。しかし、それに続く言葉はなかった。緩やかな風が吹き、東屋にはバラの花弁がはらりはらりと落ちてくる。

「もしかしてさ、セオドア君は翠のお手製なの?」

「ええ」

ハーヴィーは感心したように、翠の顔をしげしげと見た。

「翠、すごいなあ」

そんなハーヴィーに、翠はあわてて応える。

「厳密には、セオドアに“本当の情動”があるわけではないのよ。プログラムが高度で複雑だから、まるで感情があるように見えるだけ」

アンドロイドに感情を持たせることの是非について、世界の議論はいまだ割れたままだった。

そもそもAI研究には、“Artificial Intelligence”すなわちAI開発に加え、“Artificial General Intelligence”つまりAGI開発という分野がある。AGIは、日本語では汎用人工知能と呼ばれる。一般に活躍しているAIは“特化型AI”と呼ばれるもので、「ある特定の分野においては高い能力を発揮するAI」を指す。たとえばチェスの大局はできるがそれ以外はできない、というような人工知能は特化型AIだ。対してAGIは、人間の脳と同様に全方向で機能する人工知能を意味する。

翠たちの生きる2051年。エミュレーション研究は進んでいるものの、それも完成しているわけではない。そもそもAGIどころかAIすら未成熟なのだ。なぜならば、人類はいまだ“人間の脳”について解明できていないからである。

「『AIに意識や自我を生むには?』という議論や研究が頻繁になされるけれど、自分たちの脳すら分かっていない人類には無理難題よ」

意識の定義すら明確でない人類にとって、それを作り出すことが困難なのは当然と言えた。いや、それ以前に大きな論点が存在している。「“意識”とは本当に存在するのか?」という問題である。 

「私も当然ながら答えを持っていないけれど。意識については……そうね。人間でいうなら脳の電気信号の複雑化したもの、AIでいうならプログラムの複雑化したものを、ある時点から我々は“意識”と感じている、というだけかもしれない。そう考えることもあるわ」

ハーヴィーは肯いて聞いていたが、ここで翠に新しいお茶をすすめてきた。翠は、冷めてしまった紅茶のカップを差し出す。ハーヴィーはティーポットを傾けながら、

「翠、なぜ文化人類学に転向したの? 翠が塔ケ崎教授のもとで研究を続ければ、もしかしたらシンギュラリティ来ちゃうかもしれないのに。人類にとって大損失だよ」

と、もっともな質問を口にした。翠は少し返答に悩んだ様子だ。

「別に、昔からAIと共に文化人類学にも興味があっただけ。それに私には正直、シンギュラリティが人類にとって善なのか分からない。そして、AIに情動を持たせることについても。もしかしたらそれは人間の触れるべきでない、神の領域のことかも知れないと」

シンギュラリティの正否とともに、AIに情動を持たせるか否かという点も、人類の抱えてきた未解決の論点だった。

情動をアルゴリズムで表現する。これは一般的に“価値システム”と呼ばれてきた研究分野である。どれほどAIとして優秀で、人間と巧みにコミュニケーションがとれたとしても、それが「情動があること」にイコールではない。情動には情動のプログラムが必要なのだ。

研究開発の難しさ以上に問題なのは、AIに情動を持たせることの危険性についてだ。自分の意思を持ったAIが生まれたとき、それは人間とどう関わるのか。良き友や家族、同僚として平和的に人間と関係構築するという保証はどこにもない。さらに言えば、AIが人間の知能を遥かに凌駕する知能指数に到達した場合、はたして彼らは人間を平和的に扱うのだろうか? 単に「人間を差別する・見下す」という行為にとどまらず、「人間を支配しよう」と考えるのではないか。最悪の場合、「人間を絶滅させよう」と考える可能性すらあるのだ。

AI脅威論は、21世紀初頭にも頻繁に囁かれた。たとえばイギリスの理論物理学者であったスティーブン・ホーキングは「完全なAIの開発は、人類の終焉を意味するかもしれない」「AIの発明は人類の歴史において最大の出来事だったが、同時にそれは最後の出来事になってしまう可能性がある」と語った。

「神の範疇に残しておくべき事象はたくさん存在すると思うわ。なにもAGIに限らず」

翠は目を伏せながら語った。

「でもさ、たとえばゲノム編集はもう神の手を離れて僕らの日常じゃない?」

「未来へ据え置かれている分野も多数あるでしょう。たとえばハーヴィーもさっき言っていた、脳とウェブをダイレクトに繋ぐのは協定によって世界的に禁止されているように」

固く語る翠だったが、ハーヴィーは大きく伸びをする。

「神、かあ」

つぶやきながら、ハーヴィーは立ち上がった。そしてガーデニング用のハサミを取り出すと、東屋の柱のひとつに絡んでいる蔓バラを吟味し始める。ちょうど美しい盛りの一輪を摘み取ると、翠に差し出した。蔓バラにしては大輪だ。花弁も整って美しい。

「でも人間の歴史って、神を求めてきたっていう面も大きいじゃない? で、その時代時代で神や信仰をめぐる戦いがあって、古い神が新しい神に塗り替えられてきたのも事実だよね」

翠はためらいながらもバラを受け取ろうとした。するとハーヴィーはニッと笑うと、手ずから翠の髪に花を挿した。

「ああ、とても似合う! これからも君が僕の店に来るときは、その日の君に似合うバラをプレゼントさせてよ、レディ・スイ」

ハーヴィーは照れもせずにこんなセリフが言えてしまうのだ。戸惑いを隠せず、翠は議論に戻ろうとする。

「人類の歴史における、時代の変遷にともなう神のすげ替えのこと。すべてではないけれど、そういう事例も少なくないと言えるわ」

翠の言葉に、ハーヴィーは即座に、

「じゃあ新しい時代の神がAIであってもおかしくないんじゃない?」

と答えたのだ。翠はあからさまに驚いた表情になった。が、ハーヴィーは構わず続ける。

「僕さあ、プラトンの“哲人政治”って考えがすごい好きなの」

哲人政治とは、哲学者プラトンの提唱した政治体制である。

古代ギリシア。プラトンの師であったソクラテスは、当時の法規によって処刑が妥当と断じられ、みずから毒杯をあおるに至った。それはプラトンら一部の思想家からすればあまりに理不尽な、愚衆政治の横暴だった。まさしく、民主主義の悪い点を凝縮したような。

悲劇を目の当たりにしたプラトンは、哲人政治という考えを構築する。愚衆が民主主義を行うから暴挙が行われるのだと。では愚かでない者が上に立ち、民を良い方向に導けばよい。そして上に立つべき人間とは、無私であり高い知性と教養を持った“哲人”であるべきだと。

「人間だと無私無欲って不可能だよね。でもAI、というかASIならできちゃうかもしれないよね?」

ASIとは“Artificial Super Intelligence”の略である。つまり先般も話題にのぼった“超知能”だ。ハーヴィーの演説に、翠の表情はこわばった。

「それは……危険思想と見なされるわ」

「ははっ」

こわばったままの翠とは対照的に、セオドアはくったくなく笑う。

「危険思想かあ。うーん、でもねえ、みんな言わないだけで。ホントは誰もが一度は考えたことあると思うんだよね。ASIが生まれれば、それは人類の新たな神になるかもしれないってさ」

翠とセオドアが帰宅する頃には、すでに陽は落ち切っていた。彼らの暮らすShimokitazawaのマンションは70階建ての高層ビルにある。

21世紀初頭には、Shimokitazawaは当時のサブカルチャーの聖地として、多くの個性的な路面店であふれていたという。しかし今、当時の面影は見当たらない。20年前にTokyoの学術市民専用の居住特区に指定されてから、この街は様変わりした。街の風物詩であった商店街、劇場、ライヴハウスの数々は消え、代わりに50階建て以上のタワーマンションが居並ぶようになった。

マンションは居住者の入室に反応し、自動で照明などが作動する。いつもどおり明るくなった室内だったが、翠がつぶやいた。

「灯りを落として」

オーナーの声を識別し、コンピュータは即座にリクエストに応じた。寝室は、いまや窓から差し込む月光のみに照らされている。昇り始めの薄い月だ。すぐに部屋を出ようとしたセオドアの背中に、翠は手を伸ばした。

「あなたが私を現世に引き留めてくれてるのだわ……ねえテディ、私、気を抜くとすぐにも彼岸に行ってしまいそう」

言いながら、翠の声は震える。

「怖い、怖いの」

言いながら翠は床に座り込む。そして堰を切ったように泣き出した。

日頃は品行方正で、おとなしいかとも思えるセオドア。だが、様子が一変した。荒々しく翠を引き寄せると、強く抱く。両腕には力が徐々にこもり、痛いほどだ。しかし足元の薄氷に怯える翠にとっては、その痛みこそが欲しかったのだ。

「……」

翠は、自分の上に覆いかぶさった男の背に両手をまわす。

しばらく抱き合ったのち、セオドアが顔を上げた。翠とセオドアは、互いの目の奥を見詰める。機械人形の瞳の色は変わらず、揺れもしない。ゆっくりと引き寄せられるように、ふたりは口づけた。

「翠。安心して。私があなたの居場所になっている。そして、それは永遠に変わらないこと」

セオドアの両手が翠の頬を包む。セオドアの皮膚は暖かく、血流があると錯覚させるほど。とても“機械”とは思えない……。

「だから幽霊など忘れてしまえばいいよ」

ふたりは再び口づけると、深く舌を絡ませた。

床の上で絡み合う男女を、静かに見ている存在があった。透明なケースに入れられた、大ぶりのもの。それは、昼間に大量に目にしたオートマタによく似ている。

肩までの髪を後頭部でひとつにくくり、あごには無精ひげも見える。なにより目を引くのは、陽に焼けたたくましい腕だった。タトゥーが掘られた皮膚の下には、ほどよく鍛えられた筋肉が。

ケースのうちに保管されている“それ”は、オートマタのみならず、むかし生きていた人物とよく似ている。そう、かつて翠の恋人であった、DJとして世界規模の名声を獲得していた男だ。彼の名は、千颯(ちはや)。

第三回へ続く

Photo by Annie Spratt on Unsplash

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